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映画批評
打ち明ける勇気──『映画 バクテン‼︎』に見る自己開示の難しさ|Kaz
2022年夏に公開された『映画 バクテン‼︎』は、青年期の高校生が「自己開示」を行うことの難しさとその重要性をリアルに描き出した作品である。本作では主要なキャラクターが自分の気持ちを周囲にうまく伝えられず、人間関係にさまざまな支障をきたしている。 -
アニメ批評
桜の森の眼差しの下──アニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』後期オープニング論|あにもに
2020年に放送が開始されたテレビアニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』には、テレビアニメの本編にも原作のスマートフォン用ゲームにも描かれなかったもうひとつの “顔” が存在する。それはテレビアニメにとって不可欠な「オープニング」の映像である。 -
映画批評
ここでもあるどこかへ──『ほしのこえ』と故郷喪失者の詩学|てらまっと
あれから10年以上の月日が流れた。仮設住宅で暮らしていた被災者の大半は復興公営住宅に移り、メルトダウンした福島第一原子力発電所の廃炉作業も地道に進められている。唯一、全住民の避難が続いていた福島県双葉町では2022年8月に避難指示が一部解除され、ようやく居住が可能になった。震災直後には50万人近くにのぼった避難者の数も、いまでは3万人余りにまで減少しているらしい。 -
映画批評
n(えぬ)週遅れの映画評〈7〉『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』──無責任に、手を伸ばせ。|すぱんくtheはにー
キッズ向けのアニメや特撮には「3年入れ替え」説というのがあってですね、子供たちはだいたい3年でそれまで見ていたシリーズから卒業していく、みたいな見方があるんですよね。「仮面ライダー」シリーズなら『ゼロワン』(2019)から入った子供は『セイバー』(2020)を挟んで『リバイス』(2021)で卒業、みたいな。 -
映画批評
【対談】細田守が描く「継承」と「共助」──『オマツリ男爵』から『竜とそばかすの姫』まで|noirse × 志津史比古
細田守は、今敏や新海誠と同様、「映画」という形式で作品を発表することを選んだアニメ監督と言えます。ここでは、『オマツリ男爵』から最新作の『竜とそばかすの姫』(2021)まで、細田監督の長編アニメ映画をまとめて検討してみたいと思います。 -
生活批評
【座談会】若手パチンカーに聞く! アニメパチンコ座談会──物語を確率へとひらくメディアミックス|早稲田大学負けヒロイン研究会
少し前からアニメの制作費においても、パチンコに関連したものが相当の割合を占めているらしいという話をよく耳にしていました。とはいえ、私が仲良くしてもらっている「低志会」には、パチンコを嗜む人はほとんどいません。そこで、パチンコとアニメの世界がどのようにつながっているのか、アニメパチンコに詳しい若い方々に教えてもらおう、というところからこの座談会の企画がスタートしました。 -
映画批評
脚本家・會川昇とフィクションの戦後〈2〉故郷喪失者のフィクション──『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』|ねりま
會川昇を「戦後」の脚本家として読む。その試みの端緒として、本連載の第1回目では『機動戦艦ナデシコ』(1996−97)を取り上げ、戦争という出来事のなかで、フィクションを読むこと、語ることにおいて生じる緊張関係を論じた。政治的動員とフィクションとが絡み合う「戦争」の局面をくぐり抜け、第2回目でいよいよ我々は「戦後」の時空へと導かれる。 -
アニメ批評
交換可能性、あるいは不可能性と桃果の倫理──幾原邦彦『少女革命ウテナ』から『輪るピングドラム』へ|籠原スナヲ
『少女革命ウテナ』と『輪るピングドラム』には、大きな違いがある。端的に言えば、『ウテナ』では周縁に追いやられてしまった問題が、『ピングドラム』では物語の中心に置かれているのだ。その問題とは、人間が「かけがえのない」(=交換不可能な)存在であると同時に「かわりがきく」(=交換可能な)存在であることをめぐる問題である。 -
映画批評
n(えぬ)週遅れの映画評〈5〉映画『ゆるキャン△』──バイクの轍が、星座になる。|すぱんくtheはにー
えっとね、この作品全体を貫いているものが〈ずっとあるもの〉と〈なくなっちゃうもの〉の対比なんですよね。例えば冒頭、高校時代のキャンプのシーンで富士山をバックに花火が上がるじゃないですか。当然、花火っていうのは一瞬だけ美しく輝いて消えていくもので、それに対して富士山っていうのはまぁ、千年単位とかでそこにあるわけですよね。 -
アニメ批評
脚本家・會川昇とフィクションの戦後〈1〉美しい戦争、美しい物語──『機動戦艦ナデシコ』|ねりま
會川昇は戦後の脚本家である。それは無論、我々が「戦後の人間」であるというのと同じ水準において「戦後の脚本家」である、というのではない。會川昇という脚本家は、物語を語ろうとするとき、しばしば戦後というモチーフを意識的にか無意識的にか導入してしまう──そのような意味で「戦後の脚本家」なのである。 -
アニメ批評
高木さん、あるいは母と子の物語──ラブコメ・ヌーヴェルヴァーグ試論|てらまっと
「ラブコメ・ヌーヴェルヴァーグ」もまた、ラブコメ漫画やアニメにおける「新しい波」を名指そうとする試みだった。さしあたって私が念頭に置いていたのは、たとえば『からかい上手の高木さん』『宇崎ちゃんは遊びたい!』『イジらないで、長瀞さん』といった主に男性向けのラブコメ漫画だ。連載開始時期にはややばらつきがあるものの、いずれも大きな人気を博し、2010年代末~20年代初頭には相次いでテレビアニメ化されている。 -
映画批評
n(えぬ)週遅れの映画評〈3〉『犬王』──どんな呪いにも、続きがある。|すぱんくtheはにー
もともと湯浅政明監督の作品が好きなんです、特に『ピンポン』と『DEVILMAN crybaby』が。どっちも激しいアクションシーンで身体が歪むじゃない、『ピンポン』だったら対ドラゴン戦でスマッシュした瞬間に「ぐぅん」って腕が不自然なほど伸びる