記事一覧
映画批評
ぼくは「心地よく」傷つきたかった──映画『リアル・ペイン』とエンタメ化する痛み|noirse
現代社会では「痛み」が娯楽の定番になりつつある、と映画評を手がけるnoirseは指摘する。なぜ人は進んで痛みを消費するのか、そこにはどのような効能があるのか。ユダヤ系のいとこ同士がホロコーストの記憶をたどるロードムービー『リアル・ペイン〜心の... 映画批評
高畑勲の醒めない夢──『火垂るの墓』とアニメーションの亡霊|志津史比古
スタジオジブリで数々の名作を手がけ、庶民の生命力を謳い上げたアニメ監督・高畑勲(1935–2018)。だが『火垂るの墓』が突きつけてくるように、その裏側には死の気配が張り付いている。高畑は死をどのように描き、またそれによって何を表現しようとしたの... 文芸批評
【巻頭言】トランスナショナル・オタクカルチャー──『ファウスト』は東アジアでいかに“誤読”されたか|紅茶泡海苔
日本のオタク文化が海外でも人気を博すようになって久しい。だが、国境を越えた「トランスナショナル」な文化実践の豊穣さは、大資本が主導する「正史」からは見えなくなってしまう。その象徴とも言える例が、2000年代日本の文芸誌『ファウスト』の中国に... 文芸批評
あたかも治者のように──江藤淳における擬態の論理|砂糖まど
近年再び注目を集めている批評家・江藤淳(1932–99)。「成熟」の困難と向き合い続けた江藤は晩年、世間の風潮に逆らって妻への末期がんの告知を拒む。その決断の背後にはどのような論理があったのか。2024年12月の文学フリマ東京39で頒布された評論誌『mi... 生活批評
ゼロ年代批評を再交差させよ──東浩紀/宇野常寛/低志会のディソシエーション|杉田俊介
オタク批評とロスジェネ批評がともに勃興し、並行・交錯していた2000年代。あれから四半世紀が過ぎたいま、当時のダイナミズムは失われてしまったのか。過去と現在、リアルとフィクション、労働とセクシュアリティを再び交差させるべく、批評家の杉田俊介... 映画批評
沈黙する吸血鬼──映画『傷物語 -こよみヴァンプ-』論|あにもに
2024年初頭、西尾維新原作・尾石達也監督のアニメ映画『傷物語 -こよみヴァンプ-』が劇場公開された。 同作は2016〜17年公開の『傷物語』三部作を一本の映画として再構成したものだが、旧三部作と新たな総集編とのあいだにはある決定的な差異が存在する。 ... 美術批評
立ち去る光、立ち去る美術館──DIC川村記念美術館の諸問題|永瀬恭一
2025年3月末、国内有数の現代美術コレクションを擁するDIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)が30年余りにわたる営業を終えた。同館を運営する化学メーカー・DIC株式会社が東京都内への縮小移転を決めたためだ。その決定は美術関係者や愛好家のあいだに波紋を... 書評
ウィズ・ザ・ビートルズの消失──村上春樹『一人称単数』装画を読む|倉津拓也
代表作『アンダーカレント』などで知られ、寡作ながら国内外で高く評価される漫画家・豊田徹也(1967–)。 豊田は村上春樹の短編集『一人称単数』の装画も手掛けているが、そこではある謎めいた「消失」が起こっているという。 2023年11月の文学フリマ東京... 音楽批評
【座談会】私たちはなぜキャラソンを聴くのか?──キャラクター文化と交差する音楽の現在地|私的音楽同好会
ポピュラー音楽のなかでも自己を表現する音楽を独自に「私的音楽」と名づけ、美学や社会学といった観点から探究している「私的音楽同好会」。アニメなどのキャラクターソング(キャラソン)もまた、キャラクターが自己表現を行う私的音楽のひとつに数えら... 映画批評
救済のパラフレゾロジー──長崎、京アニ、きみの色|てらまっと
かれこれ10年ほど前、原爆に関するフィールドワークの手伝いのために何度か長崎を訪れたことがある。平和公園や爆心地公園、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館といった公式の関連施設や各種の被爆遺構に加え、長崎人権平和資料館や福済寺などの比較的マイナーな施設も巡り歩いた。 漫画批評
「ギャル堕ち」の先にある自由──武田弘光から「オタクにやさしいギャル」まで|安原まひろ
現代の男性向けエロマンガに親しんでいる読者なら、おそらく誰しも「アヘ顔」や「ネトラレ」といった特徴的な表現ないしは展開に触れたことがあるはずだ。人によって好き嫌いが分かれるとはいえ、いまや定番とも言うべきこれらの要素を、キャリアの早い段階から明確に打ち出してきたエロマンガ家のひとりに武田弘光がいる。 美術批評
ツインテールの天使——キャラクター・救済・アレゴリー|てらまっと
2011年3月11日──。あの日を境に、オタク文化もまた変わってしまったのだろうか。森川嘉一朗によれば、オタク文化は「永続する強固な日常(とその閉塞感)」の上に成立してきたが、いまや「永続する日常という基盤自体に亀裂が走っている」。また竹熊健太郎によれば、オタク的な表現は「変質するしかない」。なぜならそれは、オタクの「豊かな日常を前提としたライフスタイル」に支えられているからだ。








