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かつて「少女」だったオトナたちへ──STAR☆ANIS《カレンダーガール》論|萱間 隆

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文:萱間 隆

晴れの日は気分よく/雨の日は憂うつ/……と教えられたらそう思い込んでしまう/雨の日だって楽しいことはあるのに。

『新世紀エヴァンゲリオン』
最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」

かつて少女だった私を「ことばにする」とは、それを私から引き離して、他者としてみつめるという行為ではないか。

本田和子『異文化としての子ども』1

はじめに

 近年では、『プリパラ』(2014−17)や「プリキュア」シリーズ(2004−)といった女児向けコンテンツが批評の対象とされることが一般的になってきています。こうした作品群は子どもをターゲット層としながら、大人にとっても見るべきものがあるとされ、ファンによって熱心に語られてきました。

 そんななか、こうしたコンテンツを彩るオープニングテーマやエンディングテーマといったアニメソングについては、まだ十分に分析がなされていない印象があります。しかし、そうした曲の歌詞もまた、子どもたちに寄り添うコンテンツだからこそ可能なメッセージを内包しています。しかもそれは、大人の鑑賞に十分堪えるどころか、ときにハッとさせられるような内容を含んでさえいるのです。

 そのことを示すにあたり、本稿では声優ユニットの「STAR☆ANIS」が歌う《カレンダーガール》(2012)を取り上げます。この曲は、女児向けアイドルアニメ『アイカツ!』(2012)の初代エンディングテーマとして採用されただけでなく、「平成アニソン大賞」の2010~2019年部門で特別賞を受賞しており、本シリーズのファン以外にとっても馴染み深いアニメソングと言えるでしょう。

《カレンダーガール》ノンクレジット映像

 しかしながら、この曲の評価をめぐっては、その音楽性に多くの注目が集まる一方で 2 、歌詞についてはそのメッセージが誤解されているようにも思われるのです。その一例として、『アイカツ!』の最終話で《カレンダーガール》が挿入されたことについて論じた記事を引用してみます。

1stシーズンで忘れがたいのが、最後のエピソードとなった第50話「思い出は未来のなかに」。スターライトクイーンカップで憧れの神崎美月と勝負したいちごが、スターライト学園を離れ、アメリカへの1年間の留学に旅立つ。そこにエンディングテーマ「カレンダーガール」が流れる。普通の毎日こそが、かけがえのない宝物……という歌詞が、旅立ちと別れにあたって深い意味合いを持ち、視聴者を泣かせた伝説回となった。3

 ここでは《カレンダーガール》のメッセージを「普通の毎日こそが、かけがえのない宝物」とまとめています。しかし、この曲で歌われているのはそのような価値観ではありません。むしろ、そうした価値観に疑問を呈していることが、1番サビの歌詞を見るだけでも分かるはずです。

何てコトない毎日が かけがえないの

オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ

〔1番サビ〕

 引用した歌詞を読めば明らかなように、「オトナ」は「何てコトない毎日」をかけがえのないものとしてありがたがっているけれど、私たち「コドモ」は必ずしもそうは思わない、というのがこの曲のそもそもの出発点なのです。

 では、なぜ先に引用した記事では、歌詞のなかで明確に否定されている「オトナ」の価値観を《カレンダーガール》の主張と取り違えるなどという正反対の受け取り方をしてしまったのでしょうか。おそらくその原因のひとつは、この記事が参考にしたと思われる2番のサビにあります。そこでは「何てコトない毎日が/トクベツになる〔…〕カレンダーうめてく今日を/たからものにしよう」と歌われており、一見するとたしかに「普通の毎日こそが、かけがえのない宝物」という先の記述と合致しているようにも思えます。しかしそうだとすれば、《カレンダーガール》の1番サビと2番サビでは、それぞれ正反対の価値観が歌われているのでしょうか。もちろんそんなことはありません。

 そのことを確認するにあたり、本稿では《カレンダーガール》の歌詞をつぶさに分析しつつ、その流れを押さえながら、この曲に込められたメッセージを読み解くことを試みます。こうした分析を経た後に、《カレンダーガール》と歌詞が非常によく似ている竹内まりやの《毎日がスペシャル》(2001)や、《カレンダーガール》の「続編」に位置づけられる《ドラマチックガール》(2016)との比較を行います。これにより、子どもと大人がそれぞれ一日一日をどのように捉えているのか、という問題意識が《カレンダーガール》に内在していることを明らかにしていきます。こうした考察を通して、子ども向けに作られているはずのアニメソングが、大人にも響く内容となっていることを示すのが本稿の目的です。

目次

1番:「何てコトない」一日の始まり

 《カレンダーガール》を分析するにあたり、この曲の構成を確認しておきましょう。著作権法の関係上、引用は最小限にとどめるため、下記の歌詞掲載サイト等で歌詞を見ながら読んでいただくことを推奨します。

イントロ:Sunday Monday…

1番Aメロ:前髪はキマらないし…

1番Bメロ:サンシャイン…

1番サビ:何てコトない毎日が…

間奏

2番Aメロ:スケジュールは…

2番Bメロ:サンシャイン…

2番サビ:何てコトない毎日が…

間奏

Cメロ:思い出は未来のなかに…

大サビ:何てコトない毎日が…

アウトロ:Sunday Monday…

 この曲は1番も2番も、Aメロ〜Bメロで普通の女の子の日常が歌われていて、続くサビでそうした日々をどのようなものと考えているのかが語られるという構成になっています。そこでまず、1番の歌詞を細かく見ていきましょう。

 1番Aメロでは、ある朝の光景が歌われています。それは髪型がうまくキマらなかったり、朝食にパンとカフェオレをねだったりと、どこにでもありそうな一日の始まりです。こうした情景が描かれたのち、Bメロを経てサビに入ります。

何てコトない毎日が かけがえないの

オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ

カレンダーうめてく今日を たからものにしよう きっとだよ

〔1番サビ、強調引用者〕

 1行目の歌詞はすんなりと受け入れられるのではないでしょうか。ここまで女の子の「何てコトない」一日の始まりを描写してきたのですから、そうした毎日をむしろ「かけがえない」ものと見なすのは、ごく自然な流れに思えます。実際、このあと参照する《毎日がスペシャル》をはじめ、ありふれた日常の大切さを歌う曲はいくつも存在します。ところが、その直後の2行目では、そうした考え方が「ピンとこない」と歌われており、これまでのありがちな展開を鮮やかに裏切っているのです。

 では、この女の子は一日一日をどのように捉えているのでしょうか。実を言うと、1番の歌詞の時点ではそれは具体的には語られません。代わりに、その手がかりとして3行目で「カレンダー」が登場しており、これが2番への布石となっています。

2番:「何てコトない」一日を「トクベツ」にするために

 2番の歌詞は、1番のものと大きく異なります。Aメロに描かれるのは好奇心旺盛な女の子がいろいろなことに興味を持ち、そのせいで「分刻み」のスケジュールを慌ただしくこなしている様子です。そのスケジュールは、再来週の友達の誕生日まで見据えています。

 1番では代わり映えしない日常が描かれていたのに対して、2番では一日一日がそれぞれまったく異なる日であるかのように描写されています。この違いはどうして生まれたのでしょうか。それは、2番サビで明らかになります。

何てコトない毎日が トクベツになる

実践中の思考は 理屈なんかじゃないでしょ

カレンダーうめてく今日を たからものにしよう きっとだよ

〔2番サビ、強調引用者〕

 すでに見たように、1番の歌詞で歌われていたのは「何てコトない」一日の始まりでした。そして2番では、そうやって始まった一日を、この女の子が「トクベツ」なものにしようとする姿が描かれているのです。逆に言えば、彼女にとって「何てコトない毎日」それ自体には価値がありません。そうではなく、1行目にある通り、それを「トクベツ」にしていくことにこそ意味があるのです。

 そして、「何てコトない毎日」を特別にしていくためのアイテムが「カレンダー」です。カレンダーに予定を書き込んでいけば、その日は普段とは違う特別な日になります。冒頭で引用した記事では「普通の毎日こそが〔…〕宝物」だとされていましたが、これは《カレンダーガール》の解釈としては適切とは言えません。むしろ2番サビの3行目にあるように、スケジュールを書き入れてカレンダーを埋めていくことこそが、一日一日を初めて特別な「たからもの」に変えてくれるのです。

Cメロ:「思い出は未来のなかに」

 このような分析を踏まえたうえで、Cメロについても見ていきましょう。Cメロでは1番2番の歌詞を受けて、よりパンチのある言葉で、彼女なりの日々の捉え方がまとめられています。

思い出は未来のなかに 探しに行くよ約束

いつもの景色が変わってく

うれしい予感があふれてるね

〔Cメロ、強調は引用者〕

 1行目には『アイカツ!』最終話のサブタイトルにもなった「思い出は未来のなかに」というフレーズが登場します。これは字義通りに解釈すると、思い出とは過去から掘り起こすものではなく、未来のなかに「探しに行く」ものだ、とまとめることができるでしょう。一見すると矛盾しているようにも思えますが、この曲のキーアイテムであるカレンダーに着目すれば、もう少し具体的な描写に落とし込むことができます。

 カレンダーに記された内容は、それが書き込まれた時点ではたんなる予定に過ぎません。しかし、そのカレンダーをのちのち振り返ってみると、そこに書かれていることは過去に起こった(あるいは起こるはずだった)出来事の記録となります。そのことを知っているからこそ、この女の子にとって思い出作りは、カレンダーに予定を書くところからすでに始まっているのです。

 そして、ここまでの解釈を踏まえれば、2行目と3行目の意味するところも明らかでしょう。「いつもの景色」とは「何てコトない毎日」のことですし、「うれしい予感」とはカレンダーに記された予定のことです。つまり、カレンダーに未来のスケジュールを書き込むことによって、「何てコトない毎日」を「うれしい予感」に彩られた特別なものに変えることができるのです。

 余談ながら、ここで曲のタイトルに着目してみましょう。「カレンダーガール」とは本来、カレンダーのピンナップ写真のモデルとなる女性を指す言葉です。それは不特定多数の人たちから見られる存在であり、『アイカツ!』に出てくるようなアイドルのイメージが重ね合わされています。

 しかし《カレンダーガール》では、これまで見てきた通り、この言葉にまったく別の意味が付与されています。この曲に登場する「カレンダーガール」はアイドルというよりもむしろ、カレンダーに予定を書き込むことで一日一日を特別なものにしていく、ごく普通の女の子のことでした。

 つまり、この曲における「カレンダーガール」には、不特定多数の人間から見られる少女と、未来を見つめて日々を明るく生きていこうとする少女という2つの意味が込められているわけです。このように「カレンダーガール」という言葉が内包していた受動的な女性のイメージを踏まえつつ、そこに能動的な主体としての女性のイメージを付け加えているのです。

竹内まりや《毎日がスペシャル》との比較

 ここまで《カレンダーガール》の歌詞のみに着目し、そのテクストが意味するところを分析してきました。そうした作業に集中することによって、この曲に込められているメッセージをかなりのところまで明らかにできたと思います。しかし、そのメッセージにはどのような意義を見出すことができるのでしょうか。また、そのオリジナリティはどこにあるのでしょうか。こうした問いを考えるにあたり、ここからは《カレンダーガール》との関連性が高いと思われる曲を参照し、そのテクストと比較することによって、歌詞の特異性を浮かび上がらせていくことにしましょう。

 まずは冒頭で引用した記事を再度、確認しておきます。そのなかでは《カレンダーガール》のメッセージが「普通の毎日こそが、かけがえのない宝物」とまとめられており、2番サビの読み込みの甘さがこうした不正確な要約の原因になっていると指摘しました。

 それに加え、もうひとつの要因として、そのような価値観を提示する曲があらかじめ存在していたことも挙げられます。先の記事の執筆者は半ば無意識のうちにそちらに引っ張られ、その曲を《カレンダーガール》と同一視してしまったのではないでしょうか。

 ここで念頭に置いているのは、冒頭で触れたように、竹内まりやが作詞・作曲を手がけた《毎日がスペシャル》です。というのも《カレンダーガール》の歌詞には、この約10年前の曲ときわめて類似した箇所がいくつも認められるからです。しかし同時に、この2つの曲で歌われている価値観は、ほとんど正反対と言えるほどに異なってもいます。《カレンダーガール》はたんに《毎日がスペシャル》と同じ主張を繰り返しているのではなく、先行する曲の歌詞を批判的に捉え返したうえで、それとはまったく異なる価値観を表明しているのです。

竹内まりや《毎日がスペシャル》

Bメロ:太陽に照らされる少女

 ここからは実際に《毎日がスペシャル》の歌詞を検討しつつ、先に論じた《カレンダーガール》との相違点を確認していきましょう。

 《毎日がスペシャル》の1番の歌詞は次のようなものです。

雨で始まるウィークデイはユーウツの種さ

寝グセの髪に 低めのテンション

やりそびれた宿題と 彼のひとこと

思い出して またメゲる

〔《毎日がスペシャル》1番Aメロ、強調引用者〕

 この曲は、平日の朝の光景から始まります。歌詞に登場する女性は、寝癖を直すのも億劫といった様子で、手つかずの宿題や、恋人から言われた辛辣な一言を思い出しては落ち込んでいるようです。

 このような《毎日がスペシャル》の展開は、《カレンダーガール》とよく似ています。この曲もまた、ある少女の平日の朝の光景から始まっていました。

前髪はキマらないし ケンカ中だし(だるだるブルー)

ズル休みしたいけれど お見通しなの(ばればれマミー)

今朝はパンが食べたいよ カフェオレにして(ぐずぐずタイム)

リボンどれにしようかな そろそろやばっ

行ってきまーす!

〔1番Aメロ、強調引用者〕

 《カレンダーガール》冒頭では、前髪をうまくセットできず、さらには友達と「ケンカ中」の女の子の「だるだるブルー」な気分が描写されています。つまり、平日の朝、女性(少女)という大まかな舞台設定だけではなく、思いどおりにならない髪や人間関係、憂鬱な気分といった細かなモチーフまでも、先行する《毎日がスペシャル》とぴったり一致しているのです。にもかかわらず、両者のあいだには無視できない大きな違いがあります。それが、天気の捉え方です。

 《毎日がスペシャル》では、雨の日の光景が歌われています。そして、その雨を「ユーウツの種」とみなしながら不運な出来事が重ね合わされていました。一般的に、晴れた日は「良い天気」と、雨の日は「悪い天気」と言われたりしますが、《毎日がスペシャル》はまさにそのような価値観を反映したものと言えそうです 4

 《毎日がスペシャル》と同様に《カレンダーガール》にも、天気によって気分が左右されるかのような描写があります。

サンシャイン お待たせ今日もヨロシク

さっきの気分も忘れちゃって

ダッシュで坂道駆け上がって行こう!

〔1番Bメロ、強調引用者〕

 《カレンダーガール》に登場する少女は、家を出て晴れていれば、1番Aメロにあったような「さっきの〔憂鬱な〕気分も」(1番Bメロ)忘れてしまうことができます。だとすれば、この少女もまた雨が降ると、《毎日がスペシャル》のように気分が落ち込んでしまうのかと思いきや、そうではありません。

サンシャイン キラキラいつもアリガト

雨の日だってね知ってるよ

雲のむこうからずっとずっとスマイル!

〔2番Bメロ、強調引用者〕

 2番Bメロは、1番Bメロと同じく「サンシャイン」がキーワードとなっています。これは『アイカツ!』のヒロインたちが結成するアイドルユニット「Soleil」(フランス語で「太陽」の意)に掛けているだけでなく、歌詞中においても重要な役割を果たしています。

 実は《カレンダーガール》の少女は《毎日がスペシャル》の女性とは異なり、天気によって気分が左右されたりしません。なぜなら、この少女は目に見える天気ではなく「太陽」そのものに注目しているからです。たとえ空全体が雲に覆われていたとしても、太陽はつねにその先に存在しており、いつもと同じ位置で輝き続けています 5 。そうした太陽に思いを馳せることで、たとえ雨が降っていたとしても、晴れの日と同じように晴れやかな気持ちで一日を始めることができるのです 6

子どもの価値観と大人の価値観

 前節で見てきたように、《毎日がスペシャル》と《カレンダーガール》とでは、天気の捉え方が大きく異なっています。《毎日がスペシャル》に登場する女性は、雨が降っているような「悪い天気」の日は気分が落ち込んでいました。他方で《カレンダーガール》に登場する少女は、自身をスポットライトのように明るく照らす太陽を想像することによって、目に見える天気に振り回されることなく、毎朝を元気よく始めることができます。

 つまり《カレンダーガール》では、どんな日でも楽しく過ごすために、天気に対する見方そのものに発想の転換がもたらされているのです。この相違は、曲全体のメッセージにも表れています。

 前述したように、《毎日がスペシャル》ではまず、雨の日の不運な出来事が歌われます。そして、そうした日における対処法が示される流れとなっています。

でも気づいてるの 目覚めた朝 息をしているだけで 幸せなこと

だから良い天気じゃなくっても お休みじゃなくっても

占い「ラッキー」じゃなくってもね

毎日がスペシャル 毎日がスペシャル

Special day for everyone

毎日がスペシャル 毎日がスペシャル

Everyday is a special day

〔《毎日がスペシャル》1番Bメロ・サビ〕

 この歌詞に登場する女性は、「良い天気」ではなかったり、悪い出来事が続いたりしたとしても、私たちが生きる一日一日はただそれだけで「スペシャル(特別)」なんだと言い聞かせています。嫌なことが続いたにもかかわらず、どうしてそのように思えるのでしょうか。それは、この女性が人間の「老い」を意識しているからです。

誰もがみんな ちょっとずつ年をとってゆくから

何でもない一日が 実はすごく大切さ

〔《毎日がスペシャル》Cメロ〕

 老いとは言うまでもなく、自分の生きられる時間が一日、また一日と削られていくことです。「何でもない一日が/実はすごく大切」と感じられるのは、まさにこのような時間の有限性を意識しているからこそでしょう。つまり《毎日がスペシャル》では、雨の日や悪いことが続いた日でも、それもまた限りある人生の一日なのだから、その大切さを嚙み締めて生きていこう、と歌われているのです。

 しかし《カレンダーガール》の少女は、まだ成長期の女の子に過ぎないこともあって、「老い」を意識した《毎日がスペシャル》の価値観は理解しがたいようです。だからこそ、そうした価値観に反旗を翻すかのように「何てコトない毎日が かけがえないの/オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ」(1番サビ)と歌われていました。繰り返しになりますが、《カレンダーガール》の少女にとって、一日一日はただそれだけで「スペシャル」なのではなく、カレンダーに書かれたスケジュールを通して「スペシャル」に変えていく──「何てコトない毎日が/トクベツになる(2番サビ、傍点引用者)──ものなのです。

 このように《カレンダーガール》には子どもの、《毎日がスペシャル》には大人の価値観がそれぞれ歌われていると、ひとまずはまとめることができそうです。すると《カレンダーガール》は、人生の有限性を意識していない子どもの価値観が歌われているに過ぎず、大人にとってはなんの含蓄もない曲なのでしょうか。僕としては、必ずしもそうは言いきれないと思います。

 ここでもう一度《毎日がスペシャル》に着目してみると、この曲では何か嫌なことがあったときに「毎日がスペシャル」と言い聞かせていました。こうした日々の過ごし方は、いわば対症療法的で、どこか後ろ向きな印象を受けるのではないでしょうか。これに対して《カレンダーガール》では、スケジュールを埋めていくことで、一日一日を自らの手で「トクベツ」なものにしていきます。たとえ人生が有限だとしても、というより有限だからこそ、そのなかに数多く存在する空白の時間を意識し、そこにさまざまな予定を書き入れていくこと──僕にはその方が、たんに「毎日がスペシャル」と自分に言い聞かせるよりも、有意義に生きることができるように思えるのです。

《ドラマチックガール》:「成長」の裏で

 前節では《カレンダーガール》が子どもの時間感覚を歌っていること、そしてその感覚が大人にとっても示唆に富むものであることを論じてきました。とはいえ《カレンダーガール》に登場する少女もまた、いつまでも同じ価値観を持ち続けているわけではありません。この曲には《オリジナルスター☆彡》(2013)や《ドラマチックガール》といった「続編」と呼ぶべき曲が存在します。《カレンダーガール》では普通の女の子だった少女が、それらの曲ではアイドルとして活動する様子が描かれているのです。

《ドラマチックガール》プロモーションムービー

 そこで最後に、とりわけ《カレンダーガール》との関連性が高い《ドラマチックガール》の歌詞を参照しながら、両者を比較していきましょう。こうした作業を通して、《カレンダーガール》で提示されている「コドモ」の価値観を考察する意義がより明瞭になるはずです。

ポッケのなかには 少しだけ未来

かなえるためのスケジュール

(出かけなくちゃ)

ハリきる仲間がわたしのお守り

ひとりじゃくじけていたかも

(いつもありがと)

キミと

(キミの笑顔で)

はやく新しい1日を

はじめよう!

〔《ドラマチックガール》1番Bメロ、強調引用者〕

 《ドラマチックガール》では、先行する《カレンダーガール》の歌詞にあった言葉を参照しつつ、その意味を少しズラすような使い方をしています。例えば、両曲ともに「スケジュール」という歌詞が登場しますが、《カレンダーガール》では「スケジュールは分刻み? いそがしいのよ/だって興味は次々 割り込んでくる」(2番Aメロ)と歌われており、いろいろな物事に子どもらしい好奇心を抱き、どんどんスケジュールを埋めていることがうかがえます。

 これに対して《ドラマチックガール》には、「ポッケのなかには 少しだけ未来/かなえるためのスケジュール」とあります。ここで歌われている「スケジュール」は、興味や好奇心の赴くままに詰め込んでいく《カレンダーガール》の予定とは大きく異なっています。実際にアイドルになった少女は、自分自身の「未来」を実現するという明確な目標に向けてスケジュールを組むようになったのです。

 このように《ドラマチックガール》には、《カレンダーガール》とあえて同じ言葉を使うことによって、少女の変化を際立たせる表現が随所にあります。そのなかでも特に注目したいのが、以下の歌詞です。

何てコトない今日が 人生変えるような

わたしのストーリー予約して(ドラマチックガール)

走る胸の音がいそがしいね

ひとりずつがヒロイン みんなの今日に幸アレ

がんばるココロ輝くよ(ドラマチックデイズ)

どんな夢が待っているの?

精一杯に応えなきゃね 未来に約束

〔《ドラマチックガール》1番サビ、強調引用者〕

何てコトない今日が トクベツだって思えるから

(今日の空を)

わたし、きっと、ずっと忘れない

いつか、うんと遠い場所に立ってる未来にも

(今日のキモチ)

わかりあえた みんなとの時間が光る

〔《ドラマチックガール》2番Bメロ、強調引用者〕

 なんと2番Bメロでは、「何てコトない今日が/トクベツ」だと歌われているのです。これは、ここまで見てきたように《カレンダーガール》で否定されていた価値観でした。では、こうした心境の変化はどのようにして生じたのでしょうか。

 そのヒントは、1番サビにあります。そこには「何てコトない今日が 人生変えるような/わたしのストーリー予約して」とあり、「何てコトない今日」の繰り返しこそが未来を変えていくことができるとされています。アイドルとして活動する少女にとって「何てコトない今日」とはおそらく、仲間とともにダンスのレッスンを受けたり、歌の練習をしたりすることだと考えられます。そうした一日一日の積み重ねが、アイドルとしての大成につながっていくと思えるようになったのでしょう。

 すでに見た通り《カレンダーガール》では、スケジュールを埋めることに楽しみを見出す少女の姿が歌われていました。しかし《ドラマチックガール》では一転して、この女の子はアイドルという仕事を通し、自身の夢に向けて努力するようになっています。さらに、その過程で《毎日がスペシャル》とはやや意味が異なるながらも、「何てコトない今日が/トクベツ」だと思えるようにもなったわけです。

  こうした《ドラマチックガール》の歌詞は、《カレンダーガール》からの「成長」が読み取れるとして、『アイカツ!』ファンの一部からは好意的な評価を得ています。

もう100万回ぐらい言われてるだろうけど、ドラマチックガールの「何てコトない今日がトクベツだって思えるから」は、カレンダーガールの「何てコトない毎日がかけがえない」のにピンとこなかった女の子たちが成長した証なんだな。7

カレンダーガールの「何てコトない毎日がかけがえないの オトナはそういうけれど いまいちピンとこないよ」という歌詞に対しての、ドラマチックガールの「何てコトない今日が トクベツだって思えるから」という歌詞、とても彼女達の成長を感じる歌詞だなって思うんです。8

 確かに《ドラマチックガール》で描かれる少女の姿は、引用した投稿にあるように「成長」と言えるのかもしれません。しかし、そうだとすれば《カレンダーガール》は、少女が「成長」する以前の姿を描いたもので、《ドラマチックガール》へのたんなる序章に過ぎないのでしょうか。決してそんなことはないはずです。

 ここで補助線となる議論を紹介します。児童文化論が専門の本田和子は『異文化としての子ども』(1982)のなかで、子どもが大人へと段階的に成長していくという「発達的子ども観」を批判しています。本田によれば、こうした見方は大人にとって分かりやすい子ども像を前提としており、子どもに対する理解を過度に単純化しているというのです。むしろ本田は、子どもが大人になるにあたって、いろいろなものを切り捨てているのではないかと論じます。そして、子どもだからこそ感じることができるもの、逆に言えば大人になることで忘れてしまうものを探ろうと、児童文化や児童文学の分析を行いました。

 本田の議論を参照すると、《カレンダーガール》から《ドラマチックガール》への少女の変化を「成長」として捉えることが、一面的な評価でしかないことが見えてきます。《カレンダーガール》で歌われていたのは、カレンダーを楽しい予定で埋めていくことでした。他方で《ドラマチックガール》を評価する声には、そういった考え方から脱却して何らかの「目的」を達成するために努力を重ねること、そしてそれをよしとする価値観を身につけることが「成長」なんだ、という考え方が透けて見えます。しかしそれこそ、本田が批判する「発達的子ども観」そのものではないでしょうか。

 むしろ本稿で着目したいのは、《カレンダーガール》が「発達的子ども観」にとらわれずに、大人が忘れがちな感覚を呼び起こそうとしているという点です。

 《ドラマチックガール》の歌詞は、未来を変えるために努力しようというものでした。とはいえそれは、子どものころよりも自身の限界が明確になってきた大人にとっては、難しく感じることもあるでしょう。そんなとき、何らかの目標を定めて努力を重ねていくのは難しくても、スケジュールを埋めて日々を充実させていくことは、大人でもさほど難しくないように思えるのです。

 《カレンダーガール》で歌われているのは、人生の有限性を意識しながら生きていく「オトナ」の価値観でも、自身の可能性を信じて未来に向けて努力を重ねる「発達的子ども観」でもありません。そうではなく、繰り返しになりますが、楽しみな予定をカレンダーにたくさん書き込んでいこうという「コドモ」の価値観に過ぎないのです。しかしだからこそ、日々の雑事に追われ、生きていくだけで精一杯になってしまったときに、こうした感覚を思い出すことが救いになることもあるはずです。少なくとも、僕がこの曲を聞き続けるのは、そういった理由からなのです。

おわりに

 本稿では《カレンダーガール》を中心に、それと関連する《毎日がスペシャル》や《ドラマチックガール》といった曲の歌詞を分析してきました。そして、それぞれの曲の一日一日の捉え方の違いに「コドモ」「オトナ」の考え方の違いが反映されていることを確認しました。結論として《カレンダーガール》が、あくまで子どもの価値観を代表しつつ、同時に大人にも響く歌詞になっていることを明らかにできたように思います。

 ただ、どの曲により共感するかは、読者それぞれの人生観やライフステージによっても異なるでしょう。そこでどういった結論に至ろうとも、これらの歌詞を丁寧に読み解いていくことは、僕たち一人一人が過ぎ去っていく日々とどう向き合うべきかを再考することにつながると信じています。

著者

萱間 隆 KAYAMA Takashi

通りすがりの地方民。本棚「漂着録」(FARO書房内)の管理人。近作として「発展する聖地─「踊る大捜査線」シリーズ以後のお台場を歩く─」(2023、ヴァーチャル神保町勉強会・編『ジリィスタイル Vol. 2』所収)

X(Twitter)@kaya_takashi

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脚註

  1. 本田和子『異文化としての子ども』、ちくま学芸文庫、1992年、185頁。 ↩︎
  2. 例えば「アイカツ!のCDについて語る その1」、BOKUNOONGAKU Classical Music Essay、2020年3月17日を参照。 ↩︎
  3. 【犬も歩けばアニメに当たる。第15回】好きなことにひたむきに挑め! 明日を信じて自分をみがく「アイカツ!」」、アキバ総研、2016年3月5日。強調引用者。 ↩︎
  4. ただし、こうした二項対立は普遍的なものではありません。一例として、日照りが続いている地域では、晴れの日よりも雨の日の方が「良い天気」と見なされることがあります。このように「よい天気(好天)」や「悪い天気(悪天)」といった表現はさまざまに解釈され、誤解を招きやすいことから、天気予報では禁句とされています(「天気:天気とその変化に関する用語」、気象庁)↩︎
  5. 児童心理学や発達心理学といった分野では、子どもが太陽をどのように捉えているのかといった研究がたびたび行われています。例えば、ジャン・ピアジェは『臨床児童心理学 Ⅱ 児童の世界観』(大伴茂訳、同文書院、1955年)のなかで、9歳の子どもの「太陽は度々私たちを見守る、綺麗な服装をしている時は、私たちを眺める」(386頁)といった発言を取り上げて、自然現象のなかでも特に太陽が「汎心論」(アニミズム)的に捉えられていると指摘しています。これは《カレンダーガール》の少女の感性とも合致しており、この曲が子どもの目線で書かれていることを裏打ちしていると言えます。ちなみに、4歳から小学生までの児童画を調査した皆本二三江『「お絵かき」の想像力』(春秋社、2017年)によると、男児よりも女児の方が絵のなかに太陽を描く傾向があるとされています(149−151頁)↩︎
  6. こうした議論をさらに発展させるのであれば、この歌詞における「太陽」は明るさや陽気さ、さらにパラフレーズすると輝かしい未来を象徴していると言えるでしょう。 ↩︎
  7. KOH(@koh_13871)による2016年3月23日の投稿、強調引用者。 ↩︎
  8. ればにら(@reba_nira)による2018年2月27日の投稿、強調引用者。 ↩︎

参考文献

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