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映画批評
救済のパラフレゾロジー──長崎、京アニ、きみの色|てらまっと
かれこれ10年ほど前、原爆に関するフィールドワークの手伝いのために何度か長崎を訪れたことがある。平和公園や爆心地公園、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館といった公式の関連施設や各種の被爆遺構に加え、長崎人権平和資料館や福済寺などの比較的マイナーな施設も巡り歩いた。 -
美術批評
ツインテールの天使——キャラクター・救済・アレゴリー|てらまっと
2011年3月11日──。あの日を境に、オタク文化もまた変わってしまったのだろうか。森川嘉一朗によれば、オタク文化は「永続する強固な日常(とその閉塞感)」の上に成立してきたが、いまや「永続する日常という基盤自体に亀裂が走っている」。また竹熊健太郎によれば、オタク的な表現は「変質するしかない」。なぜならそれは、オタクの「豊かな日常を前提としたライフスタイル」に支えられているからだ。 -
アニメ批評
素材の手触り──新海誠作品の唯物論的構造分析|みなかみ
アニメの画面に描かれている諸要素は、我々の瞳を強く刺激し続ける「素材」としての輝きを放っている。無論アニメの作り手たちはセルで描かれたキャラクターでもいいし、背景美術でもかまわないが、いかにそれらの持つ(というか持たざるを得ない)物質性から遠く離れてフィクションを構築しうるかを常に思考=志向している。 -
アニメ批評
排水口をめぐる冒険──シャフトアニメ演出論|あにもに
いくぶん唐突な問いではあるが、「シャフト演出」と聞いたとき、ただちに連想するものと言えば何だろうか。人によってはキャラクターを非解剖学的な角度で振り向かせる「シャフ度」と呼ばれる奇妙な演技の仕方であったり、実写映像やタイポグラフィなどアニメーションの中に異なる素材を忍ばせる手法であったりと、一見して風変わりな演出の数々を思い浮かべるかもしれない。 -
アニメ批評
生誕の喜劇──アニメ『けいおん!』と日常系の臨界点|志津史比古
村上春樹は、『国境の南、太陽の西』の中で、ひとりっ子の主人公に「自分にもし兄弟がいたら」という空想を思い描かせている。いや、正確に言うならば、そうした仮想が繰り広げられそうになる瞬間に、それを制止させている。主人公は、母親から尋ねられたときに、次のような返答をしたという。 -
映画批評
『君たちはどう生きるか』という悪夢──治者としての宮崎駿|noirse
平成という時代が幕を閉じて数年が経過した。けれども今でも何かが終わったとか、何かが変わったという実感はない。「平成は失敗の30年」で、「けっきょく『昭和』を清算しきれなかったネガティヴな時代」という思いがあるからだろうか。 -
映画批評
“首なし” たちのユートピアのために──ゴジラ・首・すみっコぐらし|杉田俊介
劇場映画第3弾となる『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』の映画の真のラスト、Perfumeの「すみっコディスコ」が流れるエンドロールが終わったその後に、映画のスクリーンそのものが「工場=映画館」の復活した「顔」になる、いや、「首」になるということ…… -
音楽批評
かつて「少女」だったオトナたちへ──STAR☆ANIS《カレンダーガール》論|萱間 隆
近年では、『プリパラ』(2014−17)や「プリキュア」シリーズ(2004−)といった女児向けコンテンツが批評の対象とされることが一般的になってきています。こうした作品群は子どもをターゲット層としながら、大人にとっても見るべきものがあるとされ、ファンによって熱心に語られてきました。 -
アニメ批評
日常における遠景──「エンドレスエイト」で『けいおん!』を読む|志津史比古
「セカイ系」では、非日常的な状況を持ち出すことで、日常の価値を逆照射しているところがあった。こうした日常の価値を、非日常的な設定を持ち出すことなく、率直に称揚していく作品が「日常系」なのではないか。 -
座談会
【座談会】日常のゆくえ──京アニ事件から『ぼっち・ざ・ろっく!』まで|舞風つむじ × noirse × てらまっと
この座談会では、2010年代半ば以降の「日常系アニメ」について考えていきたいと思います。また議論にあたっては、2014年に開催されたシンポジウムの発表原稿を編んだアンソロジー『日常系アニメのソフト・コア』が叩き台になると思い、同論集の寄稿者であるnoirseさんとてらまっとさんをお呼びしました。 -
アニメ批評
失われた星を求めて──アニメ『美少年探偵団』のクィア・リーディング|あにもに
2021年に放送された『美少年探偵団』は、西尾維新の同名小説を原作とするテレビアニメである。西尾維新の〈物語〉シリーズと同様、本作もアニメーション制作会社シャフトが手掛けている。 -
アニメ批評
婚約指輪を外すために──『リズと青い鳥』にみるフィクションの政治性|てらまっと
こんにちは、てらまっとと申します。今回、初めてお目にかかる方も多いと思いますので、発表の前に簡単に自己紹介させていただきます。インターネット上ではふだん「バーチャル美少女セルフ受肉アニメ批評愛好家」として、アニメ批評っぽい文章をブログや同人誌に載せたり、ツイキャスでアニメ批評っぽい雑談を配信したりしています。