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n(えぬ)週遅れの映画評〈9〉『母性』──隣の席に、娘がいる。
「映画館に行く意味」みたいなものって、最近はとかく見失いがちなんですよね。コロナは怖いし、すぐ配信で見られるし。決してマナーのいいお客さんばかりじゃないところに、わざわざ時間を合わせて、交通費まで払って行く必要がどれだけあるんだ? と思うことは少なくないわけですよ。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈8〉『貞子DX』──目覚めたのは、「ダルい」呪い。
デジタル・トランスフォーメーションッ! 貞子! ディィッ!! エェェエックスッッ!!!……つってね。ごめん、なんかやってみたかっただけ。いやでもね、『貞子DX』はそのぐらいテンションブチ上がりしちゃう傑作でした。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈7〉『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』──無責任に、手を伸ばせ。
キッズ向けのアニメや特撮には「3年入れ替え」説というのがあってですね、子供たちはだいたい3年でそれまで見ていたシリーズから卒業していく、みたいな見方があるんですよね。「仮面ライダー」シリーズなら『ゼロワン』(2019)から入った子供は『セイバー』(2020)を挟んで『リバイス』(2021)で卒業、みたいな。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈6〉『今夜、世界からこの恋が消えても』──歴史の修正を、ためらわない。
やっぱねぇ、こういう作品を見ると思うんですよ。原作があるとかないとか、ラブストーリーだとか、実写だとか邦画だとか、そういった分類ってあんま意味ねぇなって……。何が言いたいかっていうと『今夜、世界からこの恋が消えても』、めちゃくちゃ良かったんですよ! -
n(えぬ)週遅れの映画評〈5〉映画『ゆるキャン△』──バイクの轍が、星座になる。
えっとね、この作品全体を貫いているものが〈ずっとあるもの〉と〈なくなっちゃうもの〉の対比なんですよね。例えば冒頭、高校時代のキャンプのシーンで富士山をバックに花火が上がるじゃないですか。当然、花火っていうのは一瞬だけ美しく輝いて消えていくもので、それに対して富士山っていうのはまぁ、千年単位とかでそこにあるわけですよね。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈4〉『はい、泳げません』──再起するための、祝福を。
主人公は大学で哲学の教鞭を執っている先生で、たぶん一瞬だけ出てくる授業風景だとフランス思想系の実存主義~構造主義みたいなのをやってんだけど、まぁこれは完全に、あんまり詳しくない人が「哲学」と聞いて思い浮かべるイメージ映像というか、「なんとなく哲学っぽ~い」感じのやつ(ただ哲学者の國分功一郎がちゃんと監修に入ってたりはする)。で、この主人公は幼い頃のトラウマのせいで、ハンパじゃなく「水が怖い」。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈3〉『犬王』──どんな呪いにも、続きがある。
もともと湯浅政明監督の作品が好きなんです、特に『ピンポン』と『DEVILMAN crybaby』が。どっちも激しいアクションシーンで身体が歪むじゃない、『ピンポン』だったら対ドラゴン戦でスマッシュした瞬間に「ぐぅん」って腕が不自然なほど伸びる -
n(えぬ)週遅れの映画評〈2〉『シン・ウルトラマン』──ふたつの心が、共にある。
もうね、エンディングに到達したときにはぽろっぽろ泣いてて、水分を吸ったマスクが張り付いて酸欠起こしそうになりながら思ったんですよね、「これ、あんまりだな……」って。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈1〉『バブル』──跳ぶために、壊すべきもの。
作品の中心となるアクションシーンが「パルクール」(街の中の壁や手すりなどを跳び越えたり乗り移ったりして移動するスポーツ)なんですけど、これがねぇ、いまいちパッとしないんですよ。
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