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n(えぬ)週遅れの映画評〈6〉『今夜、世界からこの恋が消えても』──歴史の修正を、ためらわない。

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※本記事は、すぱんくtheはにー「一週遅れの映画評:『今夜、世界からこの恋が消えても』置いて行かれた、あなたのために。」を一部加筆・修正のうえ、転載したものです。なお『今夜、世界からこの恋が消えても』(2022)の結末についての情報が含まれます。

文:すぱんくtheはにー

 やっぱねぇ、こういう作品を見ると思うんですよ。原作があるとかないとか、ラブストーリーだとか、実写だとか邦画だとか、そういった分類ってあんま意味ねぇなって……いやまぁ私の映画評はそういった意味ではもともと「ごった煮」状態なので、特にそういう感じがあるから「おめぇはそう言うしかないわな!」と言われたらそれまでなんですがw

 何が言いたいかっていうと『今夜、世界からこの恋が消えても』、めちゃくちゃ良かったんですよ! あ、いつも通りネタバレ上等で書いていくので、この時点ですでに「すぱちゃんが面白いって言うなら見ようかな」と思ってくれてる素敵な方はですね、ブラウザのタブを閉じていただければ。

 そういう人のために私が一番言いたいことだけ最初に言っとくね。私はこの作品を「現実と虚構が限りなく等価である」かつ「強靭な友情のお話」として受け止めました。

 今回はちょっと詳しめにストーリーを紹介すると、父親と2人暮らし(母親は亡くなっていて、姉は家を出ている)をしてる男子高校生の主人公が、ヒロインに告白するところからお話は始まるんですね。といっても、この2人はそれまでほとんど面識もない状態で、だから主人公は最初からフラれるつもりで告白してるんですよ。なのに、なぜかOKを貰えてしまう。

 ただ、そこで奇妙な条件を3つ提示される。

  1. 放課後まではお互い話しかけないこと
  2. 連絡のやりとりはできるだけ簡潔にすること
  3. 本気で好きにならないこと

 主人公はその条件を受け入れて、ヒロインとお付き合いをはじめることになる。

記憶がリセットされてしまう障害

 実はこのヒロインは交通事故の影響で「寝るとその日の記憶が全部失われる」、つまり毎朝ごとに事故があった日まで記憶がリセットされてしまうという障害を持っている。だから翌日になると、主人公と付き合うことになったのを完全に忘れてるどころか、毎日毎日「自分の記憶障害にショックを受ける」ところからスタートするのね。

 日常生活を送るために詳細な日記と大量のメモを書き留め、毎朝それを読み返してなんとかやりくりしている状態。で、それを知っているのは彼女の両親と教師、あとひとり昔からの親友だけ。

 だからヒロインは日々の積み重ねがまったくできないわけですよね、忘れちゃうから。頭の中はずっと「同じ日」に閉じ込められている。その閉塞感から何か変えたいと思って主人公の告白を承諾しちゃう。それでさっき話した条件で付き合いが続いていくのだけど、ある日のデートでヒロインがつい居眠りしてしまうんです。当然そこで記憶は失われて、そのトラブルがもとで主人公は彼女の記憶障害を知ることになる。

 そこで主人公が提案するんですよ、「今日の日記にそのことを書かなければいい」って。つまりデートはしたけど何の問題もなく終わりました、って日記に書いてあるなら、翌日に記憶が全部飛んで読み返したときヒロインの認識としては「記憶障害がバレていない」世界しか存在しなくなる。

 それで主人公は、毎日記憶がリセットされるなら、その毎日をできるだけ楽しいものにしてあげたい、っていろいろと頑張るわけですよ。まぁ、そんなこと思う時点でヒロインのことすげー好きじゃん! なんだけど。とにかく、そのためにヒロインの障害のことを唯一知ってる彼女の親友とも協力して、この3人がめちゃくちゃ仲良くなっていく[図1]

図1:左から、主人公・神谷透(道枝駿佑)とヒロイン・日野真織(福本莉子)、親友・綿矢泉(古川琴音)
©2022「今夜、世界からこの恋が消えても」製作委員会

 ただまぁ、これだけ聞くとわりとよくある恋愛ものの設定っていうか、ちょっと陳腐な感じもすると思うんですよ。記憶障害の彼女をサポートしながら、いろいろな問題を乗り越えて友情やら純愛やらを育んでいく〜みたいな。泣ける〜みたいなやつ。

 だけど、そういう設定の「質感」みたいなものの出し方が結構いいんですよね。主人公としては、この日々が彼女にとっては記憶から消えていくものにすぎないとわかっていて、しかもその障害を知ってることに負い目もある。その一方でヒロインは、日記を読んで「楽しそうな昨日の自分」がいる毎日に喜んでいる。

 ゆっくりと育まれていく感情はあるんだけど、微妙にズレというかすれ違いがあって……終盤、そこをどうこうしていくんだろうなぁ。かぁー! 甘酸っぺぇや!

 ……そう思って見てたらさ。

 主人公、いきなり死んじゃうのね。

あいまいであやふやな「現実」

 さっき主人公の母親が亡くなってることはちょっと話したけど、その原因が心臓病で、主人公も遺伝的に発作を起こすかもしれない、っていう不安を抱えてはいる。そしたら案の定、倒れてしまうんです。

 このときは入院の必要すらないくらいの軽いものだったんだけど、もしものことを考えた主人公はヒロインの親友に、というかその時にはもう彼にとっても親友になってる相手に、ひとつ頼みごとをするんですよ。「彼女の日記から、僕の存在を消してほしい」って。それを頼んだあと、すぐ2回目の発作を起こして、本当に死んでしまう。

 ヒロインは毎朝記憶がない状態に絶望しながら、それでも日記を読む。そうするとそこに仲良くなった彼氏の話が出てくる。そこに書かれてる内容はとても楽しそうで、なのにいきなりその相手が死んでしまう。主人公としては「彼女の毎日をできるだけ楽しいものにしてあげたい」と思ってるわけだから、そのための方法として、自分についての記述を消すことを頼むわけですよね。

 要するに、主人公がヒロインの記憶障害を知ってしまったときの「日記に書かなければいい」をもっと大きい範囲でやろう、ということ。

 これってつまり、ヒロインにとっての「現実とは何か?」って話じゃないですか。自分が実際にどう感じたとしても、日記に「今日は楽しかった」と書けば、その日は楽しかったことになるし、「今日はイマイチだった」と書けば、イマイチだった日になる。だから日記とはいえ、そこに書かれてる内容はある意味では「編集」を通したもので、もっと言えば「明日の自分に何を残したいか?」という記憶操作の願望が紛れ込む可能性もゼロじゃない。しかも彼女の場合、自分の記憶を参照できないから「いや、これは記憶と違うぞ」って検証したり訂正したりすることもできなくて、書いてあることをただそのまま信じるしかないわけですよ。かといって、どれだけ詳細に記録したところですべてを書き留められるわけでもないから、書くことと書かないことの選別っていう別の「編集」も必要になってくる。

 だからこのヒロインにとっての「現実」って、いろんな編集=操作をかませたすごく人工的なもので、しかも自分では後から検証できないから真偽もだいぶあやしい。そういう意味で、歴史小説みたいな「虚構」を信じてるのと結果的にほとんど変わらないんですよね。

 でも、でもですよ、私たちだって毎日の出来事を全部記憶しているわけじゃあない。もちろん覚えてることもあるけど、大半のことを忘れてしまうわけですよね。1カ月前の朝ごはんなんて覚えてないわけですよ。それで、例えば7月21日のツイログとかを見て「いつも通りシリアルの朝ごはんを食べた」って書いてあったら、その真偽なんてわからないけど、でも「1カ月前の朝ごはんはシリアルだった」というのがとりあえずは「現実」になる。そうじゃない他の記録とか写真とかが出てきたり、急に別の記憶がよみがえったりして訂正されないかぎりは。

 ほとんどの人はもっと曖昧に「たぶんそうだったな〜」程度の記憶で日々を過ごしていて、それって完全に自分の中で編集された記憶なんだから、そこだけ見れば、この作品のヒロインとたいして変わらないんじゃないの? と思うわけですよ。

 そのことは家を出ていった主人公の姉とヒロインとの会話でも示唆されていて、「記憶は薄れていくし、いまは弟の死が悲しいけれど、その悲しさもどんどん忘れていく」みたいなセリフが出てくる。そのうえで「でもそれでいい」とも告げるんですよ。

 実はこのお姉さんが家を出た理由のひとつに、「小説家としてデビューしたから」というのがあるんですね。つまり一見すると現実は虚構より確かなもの、簡単には揺るがないものに思えるけど、人間のほうが起こったことをいやおうなく忘れていくという意味では、虚構と同じくらいあやふやなものなんじゃないか? ってことを、虚構の作り手という設定を持つ人物に言わせることで伝えようとしてるんです[図2]

図2:主人公の姉・神谷早苗(松本穂香)
©2022「今夜、世界からこの恋が消えても」製作委員会

「現実を上書きする」決断の凄み

 でね、少なくともヒロインのなかでは複数の「現実」がありうるわけですよ。「彼氏が死んでしまった世界」と「最初から彼氏なんていなかった世界」のどちらを彼女にとっての「現実」にするのか、という選択がある。そしてね、その後者の現実を “作る” ために手を貸した親友がこう独白するんですよ、「私だけが、置いていかれてしまった」って。

 ヒロインの現実/日記では主人公は最初から存在していないことになって、実際にはもう死んでしまっている。だけど、この2人の共通の親友は当然そのことを覚えている。だからこの親友にとっては、主人公が死んでしまった悲しみを分かち合ったり、思い出を語り合ったりして一緒に彼の死を悼むことができる相手が、もうどこにもいないんですよ。

 主人公は死んでしまったことによって、そしてヒロインはその記憶が消えてしまったことによって、どちらもすでに親友と同じ世界にはいない。だから彼女は「置いていかれてしまった」と独白するしかないんです。

 ヒロインの日記は彼女の記憶の代わりであると同時に、親友にとってもすごく大事な、楽しい思い出だった。それを消す、無かったことにするというのは、この親友にとってめちゃくちゃつらいことなのは当然。だけど主人公の最期の頼みでもあるし、ヒロインのこれからの幸福のために自分の苦しみを二の次にして、現実の “修正” を決断するんですよ。

 いやもう、ここにある友情の力ね。友達のために、その友達自身を「無かったことにする」ことを選べる。それを自分の決断として受け入れるところが、もうめちゃくちゃ凄くて……すげぇ泣いちゃいましたよ。ヒロインがどうこうとかよりも、私にとってはこの親友のほうが胸に迫るものがあって。

 しかも! しかもですよ、その日記の改変はきちんと統合性をとって、矛盾がないようにやらないといけないから、超難しい。だからその作業を誰がやるかっていうと「作家デビューしてるお姉さん」に任すんですよ。

 作中で、かなり大事に思ってるらしいことが示されている弟の生きた痕跡を、それも彼女との思い出っていうめちゃくちゃ幸せそうな記録を「無かったことにする」ってまぁ、とんでもない苦行じゃないですか。弟の急死っていう、お姉さんにとってはただでさえつらい現実をさらに悲惨なものにしなきゃいけない。弟の大切な思い出を自分の手で消し去ってしまうわけだから。

 ここで行われてるのって「誰が、誰のためにそれを選ぶのか?」って問いへの向き合い方なんですよね。親友は「自分と主人公との友情の痕跡」と「ヒロインの穏やかで幸福な日々」を天秤にかけるしかない。お姉さんは「弟が生きた幸せな生活の痕跡」と「弟が願った愛する人の幸福」を天秤にかけるしかない。そうなったときに2人とも、自分自身が欲しいものではなく他の誰か(ヒロインや主人公)の願いを優先する。

 彼女たちのあいだにある友情とか家族の愛情が強ければ強いほど、むしろその選択は「自分にとってつらいほう」に傾くしかないわけですよ。

私だけが、世界を変えられる

 ここで「いや、つらい現実に立ち向かうべきだ」っていう回答を選ぶ人だって当然いるとは思うんです。だけど考えてみてくださいよ、ヒロインにとっては「事実が書かれた日記」と「改変された日記」のあいだには違いがない。そのページを開いた瞬間、そこに書いてあることが「現実」になる、なってしまう。

 これ、ゲームのマルチエンディングみたいなもので、AルートのエンディングとBルートのエンディングにはどっちも同じだけの強度がある。ゲームのなかではどちらかひとつが正解なんじゃなくて、「このエンディング」と「あのエンディング」はどちらも起こりうる、あるいはどちらも “起こった” ものであって、そこに差はないわけです。ヒロインの主観的な世界はそれに限りなく近い構造になっている。

 そのなかで、どういうエンディングを選ぶべきかという問題があるとするなら、さっき言った「誰が、誰のためにそれを選ぶのか?」って問いが大事になってくるわけですよ。そしてこの映画で「現実」を選べるのは親友だけなんです。

 親友は自分の苦しみを差し置いて、ヒロインの苦しみが少ない世界を作ろうとする。この映画を見てる私たちの立場としては親友に近い。だって、自分が記憶を失うわけじゃないからね。親友は「虚構によって上書きされた現実」をそれと知りながらやっていくことになるんだけど、他方でヒロインにとっては間違いなく、知らないうちに修正されたこの「現実」が唯一無二の世界になるから、2人のあいだには大きな断絶が生まれる。それこそ、住んでいる世界が違うくらいの断絶。だけど主人公が死んでしまった以上、現実を修正/編集するっていう選択肢を選べるのはもう自分しかいない。

 だからこの親友は自分が痛みを引き受けてでも、大切な誰か(ヒロイン)のために、虚構によって現実を上書きすることを選ぶ。悲劇をなかったことにするのはたしかに「正しい」選択じゃないかもしれないけど、それでも、記憶障害に苦しんでいるヒロインが少しでも心穏やかに過ごせる日々を選ぶことが間違いだなんて、誰にも言えないし言わせない──そういう悲壮なまでの決意が彼女の決断には込められていて。私はそこに胸を打たれたんですよ。

 そしてこれはメタ視点から見れば、現実を書き換えられる虚構の力を、映画という虚構それ自体を通じて肯定してみせることなわけで、そこがね、本当に素晴らしい。


 ……でもひとつだけ。これ原作は続編(『今夜、世界からこの涙が消えても』)があるんですが、えっと、私は数ページで読むのをやめました。それはこの映画評を読んだあとに続きを確認してもらえると、理由がわかると思います。

 いや、でも映画のほうは、たぶん私寄りの解釈になるように作ってると思うんだよねぇ。だからこれでヨシッ!

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著者

すぱんくtheはにー Spank “the Honey”

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