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n(えぬ)週遅れの映画評〈4〉『はい、泳げません』──再起するための、祝福を。

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※本記事は、すぱんくtheはにー「一週遅れの映画評:『はい、泳げません』もう、承認されてます。」を一部加筆・修正のうえ、転載したものです。なお『はい、泳げません』(2022)の結末についての情報が含まれます。

文:すぱんくtheはにー

 主人公は大学で哲学の教鞭を執っている先生で、たぶん一瞬だけ出てくる授業風景だとフランス思想系の実存主義~構造主義みたいなのをやってんだけど、まぁこれは完全に、あんまり詳しくない人が「哲学」と聞いて思い浮かべるイメージ映像というか、「なんとなく哲学っぽ~い」感じのやつ(ただ哲学者の國分功一郎がちゃんと監修に入ってたりはする。顔もちょっと似てる)。で、この主人公は幼い頃のトラウマのせいで、ハンパじゃなく「水が怖い」。どのくらい怖いかっていうと、手のひらに水を溜めて顔にバシャってかけるのすらできないくらい。そんな人物が「泳げるようになりたい」と思って初心者向けスイミング教室に通い始める……って話なのね。

子供による承認と拒絶

 それで、この作品には3人の子供が出てくるんですよ。もう離婚している主人公の息子と、いまちょっといい感じになりかけてるシングルマザーの息子、それと自分の元教え子たちにできた赤ちゃん。

 赤ちゃん、といってもまだ妊娠6ヶ月ぐらいなんですけど、その親になる元教え子が婚姻届を手にして「結婚の “証人” になってほしい」って訪ねてくる。そこで妊娠の報告を聞いた主人公は「なんだ、君たちはもう “承認” されてるじゃないか」と懐妊を祝福して言うわけですよ。この感覚がすごく「哲学の教授っぽ~い」というかw たしかに婚姻という契約をもっとも強く承認する者として、2人のあいだの子供以上の存在はいないわけで、しかもまだ生まれてもいない胎児を指してそう表現するのって、すごく「それっぽい」。

 ただ、この〈子供がいることで、すでに2人の関係は承認されている〉って、裏返すと〈子供がいなくなったとき、2人の関係を承認してくれる者もいなくなる〉ってことなんですよね。もちろん、これは論理学的には「対偶」じゃなくて「裏」だから、最初の命題が真だったとしても必ずしも真になるわけじゃないんだけど、でもこの作品には明らかにそういうテーマが流れてる。どういうことかっていうと、主人公の息子は実はすでに亡くなってるのね。6歳のときに、それも川に落ちて溺死している。しかも主人公は息子を助けようと川に飛び込んだ結果、流されて岩に頭を打ち付けて気絶してしまう。そのショックで息子が亡くなった前後の記憶を失っているんですよ。そしてその事件がもとで離婚している。

 元教え子の胎内で育まれる新しい命が「証人=承認」なら、主人公の亡くなった息子はその反対、つまりは「拒絶」を意味してしまうんです。誰かと関係を持つことの拒絶、あるいは水が象徴する世界そのものへの拒絶を。

「なんとなく」向き合うこと

 それでも主人公はひとりのシングルマザーの女性と知り合い、彼女との関係をもっと深めたいと思っている。だから、なんとなく泳げるようになろうと決める。いや、この「だから」と「なんとなく」ってイマイチ文章がつながってないんですけど……えっとね、すごくわかりやすい話としては、自分の息子を水の事故で亡くして、意中の女性にも息子がいる。だからもしもの時、今度こそ「息子」を助けられるように──みたいな理由は想像しやすいじゃないですか。ただ、この動機は作中で明確に否定されるんですよ。そういう動機がまったくないとは言わないけど、あくまでも付随しているだけ、みたいな感じで。実際、主人公自身にも、自分がなんでいまさら泳げるようになりたいと思ったのかあんまりわかっていない。この時点では本当に「なんとなく」なんです。

 最初はプールに入ることすら嫌がっていた主人公も、スイミングスクールに通って徐々に水に慣れていって、ごく短い距離だけど泳げるようになっていく。その過程で「水中にいるときは、むかし聞いた息子の声を思い出す」ことに気づくのね。最初は赤ん坊のころの泣き声から始まって、幼稚園、小学校の入学式……って具合に、泳げる距離が伸びるのにシンクロして思い出も進行していくようになる。

 あのですね、私は舞城王太郎の「熊の場所」(2001)って短編がめちゃめちゃ好きなんですけど、その中に「ひどい経験をトラウマにしないためには、なるべく早く同じ場所に戻って、同じことを克服するしかない」1 みたいなくだりがあって、私はここにはひとつの真実があると思ってるんですよね。

 そういった意味で、この主人公は「なるべく早く」とは言えないまでも、幼い頃のトラウマを解消するために「水中」という「同じ場所」に戻ってきた。しかもそこは、息子を救えなかったという悲劇が重なった場所でもある。そして水の中で泳いでいるうちに、死んだ息子の思い出がよみがえってくる……それはだんだんと息子が亡くなったときの、つまり主人公が失ってしまった記憶にまで近づいていく。

 ここでようやく、主人公の動機が「なんとなく」だった原因が判明してくるわけですよ。彼はたぶん無意識のレベルで、息子が亡くなったときの記憶を取り戻したいと願っていた。だけどその前後の記憶自体が失われているから、ほかでもなく「あの」記憶を取り戻したい、みたいな明確な何かとして対象化することができなかった。記憶の中の失われている空白部分、つまりは自分でも意識していない/できていないものを意識化しようとしていたわけで、それを彼の主観で表現すると「なんとなく」という言葉にしかなりえないわけなんです。

折り返される祝福

 最終的に主人公は、水中で息子が亡くなったときの記憶を取り戻す。届かなかった手を伸ばしたときに息子が「おとうさん!」って自分を呼んだことを思い出すんですよ。さっき言ったように、主人公にとって亡くなった息子は「拒絶」の象徴だった。けれどその最期の言葉によって主人公はずっと承認されていたことを、息子からも世界(水)からも拒絶なんてされてなかったことを知るんです。

 それでようやく、自分の息子を本当の意味で弔いながら、他者や世界と新しい関係をつくっていくことに踏み出せるようになる。

 でも考えてみたら、主人公が拒絶されてなかったことなんて明白なんですよね。だって手ですくった水を顔にかけることすらできなかった人が、息子を追って川に飛び込むんですよ。こんなこと、強い愛情がなかったら絶対できない。結果的に助けられはしなかったけど、自分があれほど激しく拒絶していた水の中にだって、息子のためになら入っていける。それは水に対するトラウマよりも、もっともっと強い承認が親子のあいだにあったという証明以外のなにものでもない。

 そう考えると、序盤で元教え子たちに投げかけた「もう承認されてるじゃないか」という主人公の祝福の言葉が、実はそれと知らず自分自身にも向けられていたんだ、ということに気づくんですよね。しかもこの構造が、水泳っていうメインモチーフとぴったりリンクしてる。というのは、25m泳げるようになった主人公に向かって、水泳のインストラクターが「じゃあ次は50m目指しましょう!」って言うんですよ。これはたんに50mまっすぐ泳ぐってことじゃなくて、まず25m泳いで、次に25m戻ってくるってことで、つまりは主人公の与えた祝福が自分自身に戻ってくる、でもそれに気づくまでには時間がかかる……っていう構造をきれいになぞってるわけ。プールの端まで泳いでターンして戻ってくる主人公は、まさに「出発点」に立ち返ることで初めて、新しい一歩を踏み出せるようになる。

 そういう「泳げるようになる」展開と「行って戻ってくる」物語の構造の重ね方が、めちゃめちゃ上手いんですよ。そのおかげで作品の「強度」みたいなものがぐっと増していて、素晴らしいな、と。

 それでね、この水泳インストラクター、むかし車に轢かれて大怪我をした過去があって、それ以来「外を歩くのが怖い」。もう傍から見て完全に挙動不審なくらい怯えながら道を歩くことしかできなくて、だけど水中だと(車がいないから)安心してスイスイ泳げる。水が怖い主人公をひっくり返したような人物なんです。

 映画の本編では、インストラクターのトラウマが解消されるような話は一切ない。でも水を怖がっていた主人公を叱咤激励して泳げるようにさせる、水へのトラウマを解消させるという展開と、この作品で描かれた「祝福は最初から自分にも与えられていた」という構造に従うなら、きっとこのインストラクターもいずれ立ち直るんだろうと思える。たとえ本編では描かれていなくても、きっと同じ祝福を彼女が彼女自身に与えるんだろう、って。そういう予感をはらんだ満足感を見終わった後に与えてくれる映画でした。


 邦画って正直、当たり外れはあります。でもその「当たり外れ」って、たぶんそれぞれに違うんですよね。世間の評判を鵜呑みにするんじゃなくて、ひとつひとつの作品とひとりひとりの観客が、一対一で向き合ったときに初めて「いい作品だったな」「これはダメだったな」っていうのがわかる。だから「邦画だから……」「話題になってないから……」って敬遠せずに、いろんな作品に溺れてほしいな、と。

「なんとなく」飛び込んでみたら、忘れていた自分と出会えるかもしれませんよ。

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著者

すぱんくtheはにー Spank “the Honey”

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脚註

  1. 「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない」(舞城王太郎『熊の場所(Kindle版)』、講談社文庫、2006年)[]

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