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n(えぬ)週遅れの映画評〈11〉『シン・仮面ライダー』──真の不条理は、この身にあり。|すぱんくtheはにー

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※本記事は、すぱんくtheはにー「一週遅れの映画評:『シン・仮面ライダー』真の正義は、孤独でしかなく。」を一部加筆・修正のうえ、転載したものです。なお、『シン・仮面ライダー』(2023)の結末についての情報が含まれます。

文:すぱんくtheはにー

 『シン・仮面ライダー』、最初に見終わったときは「バカがよwww」って大笑いしてたんですよ。

 いや、だってさ、主人公の本郷猛=仮面ライダーと第2バッタオーグが戦ったときに、本郷は左足をぼっきり折られて、そのあとの展開で第2バッタオーグが仮面ライダー第2号になるじゃない? 初代『仮面ライダー』(1971)で、本郷猛役の藤岡弘、が撮影中の事故で左足を複雑骨折して、その代役として仮面ライダー2号(一文字隼人)が登場することになった──っていう事実が、完全に「歴史改変ビーム」1撃たれて変わってんじゃんwwwってめちゃくちゃ笑っちゃったのね。

 ほかにも『仮面ライダー』からの濃すぎる引用シーンが山盛りだし、自律型アンドロイドのケイはロボット刑事K2だし、チョウオーグはイナズマン3の顔に仮面ライダーV34っぽいダブルタイフーン(二重風車のベルト)と白マフラーだし、キャラクターの背景設定も「父よ、母よ、妹よ」5だしで、正直、すっごく楽しかったのよ。「うははwwバッカじゃないのwww」って感じで。

 だけど、あとから思い返してみると、そういうマニアックなシーンばっかり頭のなかに残ってて、肝心の部分……なんというか、作品の「芯」の部分がさっぱり記憶に残ってないのよ、『シン・仮面ライダー』なのに。こうなっちゃう理由っておおむね2パターンあって、ひとつは「芯なんてハナっから無い」パターンと、もうひとつは「外観に目を奪われすぎて、芯を捉えられてない」パターンなんですよね。今回はどっちかって言うと、明らかに後者なんですよ。

 ただ、それでもひとつのセリフがめちゃくちゃ頭に残ってたのね。竹野内豊演じるタチバナが砂浜で本郷に語った「絶望は、お前だけじゃない。多くの人間が同じように経験している。だが、その乗り越え方がみな違う」っていうセリフ。それを頼りに、なんとか内容を思い出して(噓。本当はもうどうにもならんかったから、もう一回見に行きました)、ようやくわかってきたんですよね。仮面ライダーはいまも昔も、不条理の力で不条理と戦う「正義の味方」なんだ、っていうことが。

目次

改造人間という「弱者」

 そもそも秘密結社「SHOCKER」を統括している人工知能アイが、人類を幸福にするために「最大多数の最大幸福」ではなく「絶望のもっとも深い者を救済する」という方針をとった──っていう話なわけじゃない? それでね、私はつねづね言ってるんですけど、不幸くらべは意味がないのよ。だって、人間は結局のところ「私の不幸」「私の絶望」しか理解しようがないわけでさ……そりゃあニュースとか、あるいはフィクションで他人の不幸を推しはかることはできるかもしれない。

 だけど、自分の身に降りかかってくる不幸ってやっぱり別物で、他人から見れば「なんだ、その程度か」と思うようなことでも、当人にとっては、世界を呪うレベルの絶望だったりすることは往々にしてある。わかりやすいところだと「彼氏にフラれた」とかさ、この世には数限りない恋愛事情があって、今日も何万組ってカップルが破局を迎えてるわけですよ。それでも、いまこの瞬間の「私の絶望」は誰よりも何よりも深くて、自殺しちゃう人だって普通にいる。

 だから私は、誰もがその人にしかわからない世界一の絶望と戦っていると思ってるし、そういう理由で「不幸くらべは意味がない」って思うのね。

 それで、そういう考え方の私から見ると「絶望のもっとも深い者を救済する」と「みんな絶望を乗り越えている」が合わさったとき、ひとつの事実があらわになっちゃうのよ。つまり、誰もが「私の絶望」を抱えているなかで、ほとんどの人はそれぞれのやり方でその絶望から立ち直っていく。すると、残されるのは「私の絶望」から立ち直ることのできない人間……言ってみれば「弱者」であると。

『シン・仮面ライダー』より、池松壮亮演じる本郷猛
©石森プロ・東映/2023「シン・仮面ライダー」製作委員会

 その意味では、SHOCKERに選ばれてオーグメント(改造人間)になった人たちって、それぞれの不幸や絶望を乗り越えられなかった「弱者」たちなわけですよ。そう考えると、ケイがバッタオーグ=仮面ライダー=本郷猛に「組織に戻ってきませんか?」ってしつこく尋ねる理由がよくわかる。だって本郷猛って、いわゆる「コミュ障」の無職で、いまの日本社会では完全に「弱者」そのものじゃないですか。

 だから、SHOCKERにしてみれば「お前は “こっち側” じゃないんかい!?」ってめちゃくちゃ思うわけ。同じ弱者なのに、どうして我々と敵対するの? って。

仮面ライダー0号 vs. 1号

 いやね、実際は各オーグメントの思想って、それぞれまったく相容れないんですよ。少なくとも、全人類のコウモリヴィールス感染を目指すコウモリオーグ、全人類の奴隷化を画策するハチオーグ、全人類のプラーナ化を目論むチョウオーグなんかは明らかに共存不可能だから、いずれどこかで衝突する。とにかく人間嫌いのクモオーグも無理そうだし、サソリオーグとK.K オーグはよくわかんないけど、どちらも突き詰めれば、やっぱり共存不可能な欲望を抱えてることは想像に難くない。とくにサソリオーグは被虐/嗜虐願望がありそうだから、ある程度は自分以外の人間がいないと困りそうだもんね。

 でも、それでもですよ。彼らは改造人間として、SHOCKERの一員という「ゆるい連帯」でまとまっている。だからたぶん、仲間内で争うのなんてだいぶ先の話なんですよね。「弱者」である彼らはまず、ほかの人間たちを洗脳したり殺害したりして「私の絶望」を癒やさなければならない。だって、そのために改造人間になったんだから。

 そんなわけで、SHOCKERに相対するのは日本政府のエージェントっていう「強者」なんですけど、とにかくこいつらを倒して、SHOCKERが世界征服をして、内輪揉めするのはそれからでいいじゃないですか。バッタオーグだってコミュ障の無職だったんだから、オーグメントの力で好き勝手にやればいい。なのに、いきなり「仮面ライダー」とか名乗ってめちゃくちゃ邪魔してくる。いやちがうじゃん、弱者=改造人間同士で揉めてる場合じゃないのに、なんで殴る蹴るしてくるのさ……身内で争うのは不利ィィィィイッッ!!!

 ここで重要になってくるのが、チョウオーグと仮面ライダー(1号)の最終決戦でのやりとりなんです。チョウオーグがみずから「仮面ライダー0号」を名乗ったのは、彼が自分なりのやり方で人類を救済しようとしてるから。これはちょうど、バッタオーグがSHOCKERの魔の手から(というよりはもうちょっと場当たり的に、ほかのオーグメントたちから)人々を守ろうとしたときに「仮面ライダー」と名乗ったのと同じ構図なんですね。

『シン・仮面ライダー』より、チョウオーグ
©石森プロ・東映/2023「シン・仮面ライダー」製作委員会

 さらに言うと、本郷もチョウオーグ=緑川イチローも、そういう考えにいたった原因がよく似ている。本郷の父親は警察官で、人質事件の犯人に刺されて殉職してるし、イチローの母親も通り魔に刺されて亡くなってる。どっちのケースも、本郷の言葉を借りれば「人間の不条理に殺された」わけですよ。そこでイチローは、全人類をプラーナ(生命エネルギー)に還元しようとする。妹のルリ子が言うには、プラーナ化した人間は噓のない、本心だけの世界(ハビタット世界)に連れていかれちゃう。つまりイチローは、そういう世界になれば「不条理」の入り込む余地がなくなって、理不尽に人が殺されることもなくなる──人類の救済につながる──と考えて行動してるんですよね。

 それに対して本郷は「僕には他人がよくわからない、だから他人がわかるように自分を変えたい。世界を変える気なんてない!」って応えるわけですよ。これ、後半はわりとすんなり理解できるじゃん、世界を変えて不条理をなくそうとしているイチローに対して「世界を変える気なんてない!」っていうのは。でも、前半の「他人がわかるように自分を変えたい」はワンクッション必要というか、本郷の生い立ちに関わってくる話なんですよね。

不条理の力で、不条理と戦う

 本郷は、父親を不条理に殺されたことで「僕にもっと力があれば、父を救えたかもしれない」ってずっと悩んでいた。そこに目をつけた緑川博士に改造されて「力」を手に入れた結果、たしかにSHOCKERから人々を救えるようにはなった。でもさ、考えてみたら、なんの同意もなく体をいじられて改造人間にされて、攻撃衝動に振り回されてSHOCKERの戦闘員を何人も殴り殺して、ヘルメットを脱いだあとに「思っていたよりもつらい」とかこぼして、挙げ句の果てに「僕は腹が減らないようだ。便利だがつまらない体だな」なんて自嘲して……これってめちゃくちゃ「不条理」ですよ。『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)の「エヴァに乗れ、乗らないなら帰れ」も大概ひどかったけど、本郷の場合、問答無用で改造人間にされちゃってるんだから。

 だけど、本郷はその「不条理」によってはじめて戦う力を手に入れた。不条理によって得た力で、不条理から人々を守る──これが『仮面ライダー』という作品の根底に流れるテーマなんです。「SHOCKERによって造られた改造人間同士の戦い」っていう図式には、だから、人間の不条理に対する怒りや祈りのようなものが込められてるんですね。

 それでちょっと話を戻すと、チョウオーグ=仮面ライダー0号は世界を変えることで人々を救おうとする。これに対して、仮面ライダー(1号)は自分を変える(変えられてしまう)ことで人々を救おうとする。それってつまり、自分の大切な誰かを守るためには、自分自身が不条理にさらされてもかまわないってことで……だから、作中で本郷は「優しい」って言われ続けるんですよね。一方、世界そのものを変えようとするイチローは、そもそも不条理が起こらない、起こせない世界にしてしまおうと思っている。でもそれって、本郷とは逆に、自分以外の人たちの生き方をめちゃくちゃ制限することなんですよ。だって、人間をただの生命エネルギーに変えちゃうわけだから。言い換えると、イチローは不条理から人々を救うために、人々から理不尽に「自由」を奪っている──つまりは、別の不条理を押しつけてるんです。

 ここで『仮面ライダー』の、あの伝説的なナレーションが私の胸に響いてくるわけですよ!

仮面ライダー=本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制覇を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ。

 このナレーションに相当するのが「僕には他人がよくわからない、だから他人がわかるように自分を変えたい。世界を変える気なんてない!」なんですよね。人類を救うと言いながら他人に不条理を押しつけるんじゃなくて、どこまでも自分自身が不条理を引き受ける。それが本郷猛=仮面ライダーという「正義の味方ヒーロー」なんです。

仮面ライダー/ヒーローの条件

 本郷は自分が変わることで正義の味方であろうとする。これに対して、徹底して他人を変えようとするのがイチローであり、さらには外世界観測用自律型人工知能のケイなんですよね。ケイが「観測」しているのは「不条理」にさらされる人間たちの振る舞いなんだけど、そこにさらに変数、つまりはオーグメントという力を弱者たちに与えることで、その不条理をいっそう増幅させている。これは言ってみれば、弱者を煽って武器を与え、その結果として起こる混乱=不条理を観察してるわけで、私たちの悪しき一面そのものですよ。他人をコンテンツとして消費し、悲劇や炎上を眺めてはニヤニヤしている私たち自身の卑劣さなんです。

『シン・仮面ライダー』より、人工知能ケイ
©石森プロ・東映/2023「シン・仮面ライダー」製作委員会

 あくまで観測者だと言い張るケイ、そして彼の背後にあるSHOCKERがなぜ「悪」なのか、その答えがここにはある。幸福を与えるフリをして、誰かの増幅された不幸をコンテンツとして楽しむ邪悪さ──それがSHOCKERの本質なんですよね。そうやって私たちは、世の不条理を「私の不幸」「私の絶望」としてではなく、他人のそれとして消費しようとする。たしかに弱い人間たちは、そうしないと生きられないのかもしれない。だけど、本郷猛=仮面ライダーはちがう。

 改造人間のバッタオーグは「不条理」の産物であると同時に、SHOCKERという悪の組織が引き起こす「不条理」に立ち向かう存在でもある。これが『シン・仮面ライダー』の、ひいては『仮面ライダー』の描き出す「正義の味方」の姿なんです。不条理によって手にした力で、不条理と戦っていく。人間の自由を守るために。それはほかの誰でもない、自分自身を不条理にさらすことでしか守れないもの……。

 本郷が「人生のすべてに無駄なことなんてない!」とイチローに向かって叫んだとき、彼はそれでも肯定しようとしていた。誰にとっても尊重されるべき、かけがえのない、絶望と背中合わせの自由を。

 その自由が脅かされるとき、わが身を犠牲にしても戦う「正義の味方」こそが、仮面ライダー/ヒーローの条件ではなかったか。映画『仮面ライダー1号』(2016)で、死してなおショッカーと戦うために復活した、あの藤岡弘、演じる仮面ライダー1号のように。

 世界を変えずに、己を変えて。不条理に立ち向かうため、不条理をその身に宿す。それが「正義の味方ヒーロー」たりうる者の強さであり、そして「仮面ライダー」とは、その強さを持つ者に与えられる称号なんです。

 少しでも正義の味方に近づきたい。ごっこ遊びをしていたあの頃からずっと──そんな願いを込めて、私はこうやってひとりポーズを決めて叫ぶわけですよ。

 変身!

著者

すぱんくtheはにー Spank “the Honey”

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脚註

  1. 映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』(2015)で本当に使われた敵の技。文字通り歴史を改変することができる。 ↩︎
  2. 特撮テレビ番組『ロボット刑事』(1973)に登場するヒーロー。石ノ森章太郎の漫画を原作とする。 ↩︎
  3. 特撮テレビ番組『イナズマン』(1973−74)に登場するヒーロー。石ノ森章太郎の漫画を原作とする。 ↩︎
  4. 特撮テレビ番組『仮面ライダーV3』(1973−74)に登場する主役ライダー。 ↩︎
  5. 『仮面ライダーV3』のオープニング曲「戦え! 仮面ライダーV3」の一節。同作の冒頭、V3に変身する主人公・風見志郎の父母と妹は「デストロン」の怪人たちに惨殺される。 ↩︎

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