※本記事は、すぱんくtheはにー「一週遅れの映画評:『貞子DX』「ハレ」の恐怖、「ケ」の恐怖。」を一部加筆・修正のうえ、転載したものです。なお『貞子DX』(2022)の結末についての情報が含まれます。
文:すぱんくtheはにー
そのうえで、映画のラストの部分ですっごくイヤ~なものをこっちに投げかけてくるんですよ。怖いとか不気味とかじゃなくて「うっわぁ~、ダリぃ~」って感じのイヤさを。
よくできたホラー映画って、私たちが現在抱えているあれこれの問題を戯曲化して映し出す鏡みたいな部分があって、この「イヤさ」は完全にいまの社会をとらえている。だから、ホラー映画として見てる最中は0点でも、このラストで私のなかでは特別加点を稼ぎまくってます。
ウイルスの「変異」
この『貞子DX』、世界観としては1998年に公開された最初の『リング』『らせん』から直接的につながっていると考えていいです。これはつまり、私の大好きな『貞子vs伽椰子』(2016)が別バースのお話になってしまうわけで、そこはちょっと悔しいんですがw
それで、いわゆるあの「呪いのビデオ」が出回っている。ただ初代と大きく違うのは、ビデオを見てから貞子に殺されるまでの期間が7日から24時間に短縮されてるのと、「他の人に見せれば呪いが解除される」が通用しなくなってること。
これは『リング』シリーズの基礎知識なんですが、貞子の呪いは天然痘ウイルスに山村貞子の遺伝情報が混じったものが原因なんです。ビデオを見てから7日後に死ぬというのも、天然痘の潜伏期間に由来している。
一般的にウイルスが「増殖し拡散する」ことを目的としている以上、もともとの呪いはその性質を素直に反映している(7日という猶予&他人に見せる)。そう考えると「24時間」というタイムリミットはあまりにも短すぎて、ウイルスの目的に合ってないんじゃないか? という疑問が湧くわけです。この疑問を手がかりにIQ200の天才主人公が、ビデオを見てしまった妹を救うために呪いの謎を解き明かそうとする、というのが今作のストーリーなのね。
まぁ、ササッとオチを話すと、貞子の呪いは変異して「24時間以内にもう一度呪いのビデオを見なければ死ぬ」というものになってたんですよ。主人公はその法則を発見して、自分と妹たちの命を救うことができた……っていう感じで映画は終わるんですが、私がうならされたのはこの変異したウイルスの設定と、その対処方なんです。
習慣化する呪い
えっとね、この作品には何度か食事シーンが出てくるんですけど、そこで主人公は「規則正しい生活を送るのが大事」って言うんです。つまり、3食きちんと食べて、同じような時間に寝て、朝も決められた時間に起きる。そうすれば健康を維持できる、と。
それとは別に、主人公は考えごとをするときにこう、耳のうしろのリンパ腺のあたりを親指で軽く押しながら、耳の横で手をひらひらさせて指が風を切る音を聞くっていう変わった癖がある。さらに主人公と一緒に行動することになる人物にも妙な癖があって、何か決め台詞っぽいことを言うときに、鼻の下に指を当てて「すぅー」って息を吸うんです。
たぶんこれって順番に、味覚/触覚/聴覚/嗅覚の話なんですよね。食べる/押す/聞く/嗅ぐっていう。味覚(食べる)は「規則正しい」ものとして、それ以外は癖としてあらわれている。五感に対応した行為が習慣化して、やめるべきではないものや、本人にも簡単にはやめられないものになってるんです。
ところで、いま「五感」って言いましたよね、でもひとつ足りないじゃあないですか。そしてこう言えばもう気づくと思うんですが、そう、ここで「視覚」に相当するものが「呪いのビデオ」になるわけですよ。
「24時間以内にもう一度呪いのビデオを見なければ死ぬ」。これって言い換えると、死にたくなければ毎日毎日そのビデオを見なくちゃいけない、ってことを意味している。そうやって食事や睡眠のように規則正しくやっているうちに、やめたくてもやめられない癖みたいになっていく……まぁ、私も映画評のもとになってるツイキャスが完全に習慣化してて、入院して配信できないときに「ハッ! 配信の時間だ!」って病院のベッドから飛び起きるという感じだったんですがw
ハレの怖さからケのイヤさへ
ここでは呪いのウイルスは生き延びる戦略として、人間の生活の一部になることを選択したと解釈できる。宿主を生かす代わりに、毎日ビデオを見させることでその存在を確かなものにしようとしている。
これって要するに、貞子がいわば「ハレ(非日常)の恐怖」から「ケ(日常)の恐怖」へと移行しているわけなんですよ。ある特定の状況下で襲いかかってくる避けようのない呪いとしての貞子は、その特別な条件があることで「怖いもの」という存在感を発揮している。だけど、貞子というキャラクターはそういう演出のもとでもう何度も登場させられてきて、さすがに目新しさがなくなってきてるわけです。というより、映画の外ではもはや、たんに愛すべき存在になっちゃってる。いまは貞子がYouTuberとして動画を投稿する「貞子の井戸暮らし」なんていうチャンネルもあるくらいだから……。
そして今作ではついに、そんな貞子がホラー映画という本来の領分でも非日常的な怪異であることをやめて、ごく当たり前の日常の一部になる。日々の生活のなかに溶け込んで、つねにそこにある死の予感をうっすらと感じさせる存在に変わってしまう。そしてこれによって、作中で規則正しい生活習慣や癖として描かれているものと、それこそ習慣化しそうなくらい繰り返し撮られてきた「貞子」のありようがぴったり重なってくる。毎日見なければいけない「呪いのビデオ」と、シリーズ作品が何度も作られては上映される貞子という存在が完全に同じ意味を持ち始めるんですよ。これが冒頭の「いま『貞子』を使って恐怖を描く/撮るってどういうことなの?」という問いに対する『貞子DX』の答えなんです。
それでね、ここで改めて考えるとすっごいイヤな気分になるわけ。だって想像してみて? これといっておもしろくもない動画を毎日のように見続けなきゃいけないって……うっわぁ〜、ダリぃ~って感じじゃん。しかも見忘れたり途中で寝たりしたら即アウトで、貞子に呪い殺されちゃう。酔いつぶれたりしてもダメだから、それこそ主人公の言う「規則正しい生活を送る」ことを強制されてしまうわけですよ。
まぁ「規則正しい生活」ってたしかに理想ではあるけどさ、それを崩したら一発で死んじゃうとか、もう怖いっていうか単純にゲンナリするでしょ。そうやって生活習慣を強制されることに対する「め、面倒くせぇ~~~~!」っていうイヤな感じがラストのあたりで出てきて……映画を見てちょっと考えたところで「勘弁してクレメンス」って言いたくなる作品でしたね。
ところで、この呪いの原因はウイルスだから、主人公たちは24時間ごとにビデオを見ることを「“抗体” を24時間ごとにつくる」って表現するのね。呪いのリスクが当たり前の日常になってしまった以上、定期的に抗体をつくらないといけない、つまりワクチン接種をするって……もう完全に身近なものになっちゃったヤツがあるじゃん?
こうやって現実の社会問題をうまく織り込んでいくところは、全然怖くない『貞子DX』が間違いなく「ホラー映画」として成立しているポイントだと思うんです。しかもこの作品では、本来は非日常的なはずの「怖さ」を日常的な「イヤさ」へと変換している。まさにそれこそが現代の貞子、現代のホラーなんだ、って言うみたいに。つまりは優れた「ホラー映画批評映画」にもなってるわけで、これが『貞子DX』を傑作たらしめている大きな要因だと私は思うんですよね。
『リング』というか「貞子」を思い出すとき、あのめちゃくちゃ特徴的な「♪Oooh きっと来る~」っていう主題歌(HIIH「feels like “HEAVEN”」) が一緒に頭のなかで流れる人は多いと思うんですけど、これまでの貞子はあくまで「来る」ものだったんです。
でも、今日からは、そこに “いる”。
著者
すぱんくtheはにー Spank “the Honey”
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