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n(えぬ)週遅れの映画評〈7〉『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』──無責任に、手を伸ばせ。

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※本記事は、すぱんくtheはにー「一週遅れの映画評:『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』この一皿に願いを。」を一部加筆・修正のうえ、転載したものです。なお『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』(2022)の結末についての情報が含まれます。

文:すぱんくtheはにー

 キッズ向けのアニメや特撮には「3年入れ替え」説というのがあってですね、子供たちはだいたい3年でそれまで見ていたシリーズから卒業していく、みたいな見方があるんですよね。「仮面ライダー」シリーズなら『ゼロワン』(2019)から入った子供は『セイバー』(2020)を挟んで『リバイス』(2021)で卒業、みたいな。その関係で、キッズものはだいたい3年で対象年齢がリセットされるという話がある。
 まぁ実際には毎年「はじめまして」の子がいるはずなので、基本的には与太話の域を出ない説ではあるんですが、それでも長く見続けていると「あ、今年は対象年齢ちょと高めだな」「今回はリセットの年だな」みたいなことを感じるときはあるんです。

 そういう観点からいうと、今年の『デリシャスパーティ♡プリキュア!』は対象年齢としては低めに設定されている印象が強いわけですよ。メインテーマが「ごはん(食事)」っていう身近なものだったり、本編の丁寧なナレーションであったり……。もちろんそのうえで、年長の子供相手にも伝えたいことがちゃんと含まれている。特に「みんなと一緒に食べるとおいしい」っていうよくある教育的メッセージを(昨今のコロナ禍も踏まえて)繰り出さないところが、本当に良いなと思っています。

 それで今回の劇場版なんですけど、主人公のゆいちゃんの幼少期から話が始まるんですね。ゆいちゃんはある日、雨の中を傘もささずにトボトボと歩いてる少年を見つけて、定食屋をやっている自分の家に招待してごはんを食べさせる。それは彼女がおばあちゃんから「元気のない人には、おいしいごはんをお腹いっぱい食べさせて元気になってもらいましょう」って教えられていたから。ただこの少年、なんというか完全にネグレクトを受けている被虐待児の気配が漂ってるんですよね。
 ここでも年齢によって受け止め方が変わる部分があって、まだ小さい子には「元気を出すために、ごはんをちゃんと食べようね」っていう話になるし、年長の子には「周りに元気のない人がいたら、気にかけてあげようね」っていう話になる。まだ自分のこともあまり把握できていない歳の子供と、他人の様子をうかがうことのできる歳の子供とでは、映画の同じシーンでも読み取れるメッセージは当然違うし、さらに大人や親の立場になると、虐待とか貧困とかの社会問題まで射程に入ってくるわけです。

 でもね、そこには同時に、あらゆる年代の人間に向けられたメッセージもたしかにある。少なくともそういうふうに解釈できるようにはなっているんです、ちゃんと。

プリキュアだけがヒーローじゃない

 今回、ゆいちゃんが提供したごはんを実際に作ってみたんですよ。それがこんな感じ[図1]

図1:すぱんくtheはにーの手作りお子様ランチ
  • 大きなまん丸おにぎり 2つ
  • たまごサンド
  • きのことベーコンのパスタ
  • ポテトサラダ
  • なすのマリネ
  • プチトマト
  • プリン
  • ゼリー

※メニューの内訳については以下の記事を参照。すぱんくtheはにー「『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』映画評のおまけ。

 いや作る前からわかってたけど、めちゃくちゃ “思想” が強いっていうか、もう鬼のように炭水化物(糖質)てんこ盛りで、「元気がないときは米を食え!」って圧がすごいの。映画ではたぶん定食の付け合わせとして作り置きしている惣菜を、最初は別々のお皿に盛りつけたんだけど、少年は手をつけないのね。そこで全部を一枚の皿に寄せて「はい、お子様ランチ!」にして食べさせる。
 そういうゆいちゃんの「誰かを元気にしたい」って姿勢は成長したいまも変わってなくて、妖精のコメコメはそんな彼女に憧れて「ゆいちゃんみたいなヒーローになりたい」って思うようになる。コメコメは作中で4〜6歳くらいの女の子の姿、つまり「プリキュア」シリーズがメインターゲットにしている年齢層の少女に変身するんだけど、この妖精はあくまで「ゆいちゃん」という普通の人間に対して憧れを抱くんです。要するに、特別な力を持っているプリキュアとしてではなく、ただのひとりの人間として弱っている人を元気づけようとするゆいちゃんこそが、コメコメにとっての「ヒーロー」なのね。
 ここには微妙な、けれども重要な路線変更がある。ある時期の「プリキュア」は「誰でもプリキュアになれる」だったけど、『デパプリ』では明らかに「プリキュアじゃなくてもヒーローになれる」「プリキュアだけがヒーローじゃない」をやろうとしていて……一度ウケた路線に乗っかり続けるんじゃなくて、ちゃんと新しい方向を目指して進んでいる。そういうアップデートの積み重ねが「同じシリーズで毎年、新しい作品をつくる」ことの意義にもつながっていて、すごく良いと思うんですよ。

不可能な約束を交わす意味

 ただ「食べ物で元気を分け与えるヒーロー」ってすでにいるじゃない、あの方が。おそらく日本のキッズ向けアニメ界で最大最強のヒーローである「アンパンマン」が[図2]。だからこの方向性で作品をつくるなら、どうアンパンマンから距離をとるか? っていうことをちゃんと考えないと……だって同じ方向では勝ち目ないじゃん、アイツに。

図2:『それいけ!アンパンマン』(1988−)より、アンパンマン
©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

 そこで今回の『デパプリ』映画では、この問題へのアンサーとして「大人への不信」っていう条件を入れてくるんです。ゆいちゃんが助けた少年は直接ネグレクトを受けていたわけじゃないんだけど、いろいろと裏切られたり酷い目に遭ったりして「大人なんて信じられない」と思っている。これは被虐待児の多くに共通する感覚なんじゃないかと思うんですよ。そういう子供たちにとってアンパンマンっていうのはやっぱり「大人」で、彼自身がどれだけ立派で高潔なヒーローであったとしても、むしろそのことによってかえって「信じられない」、つまりは拒絶されてしまう可能性が高いわけです。なぜなら、そこには依然として大人と子供、一方的に助ける側と助けられる側っていう、非対称的な関係があるから。この関係そのものがたぶん、ある種の子供にとっては耐えがたい苦痛なんだと思うのよね。救うも救わないも相手次第で、期待が裏切られるかもしれない不安におびえるくらいなら、最初から拒絶しちゃうほうがいくらか楽なんですよ。

 じゃあどうすればいいのか。ゆいちゃんは少年にごはんを食べさせたあとで「また元気がなくなったら、駆けつけるから」って言うんです。それに対して少年も「もしつらいことがあったら、今度は僕が君を助けるよ」って約束するんですけど……これって端的に「不可能」じゃないですか。あなたが困っているときは必ず私が助けに行きます、って約束としてはたしかに美しいかもしれない。でもそれを完璧に遂行することなんて、絶対にできないわけです。
 だからここにあるのは、本当は不可能なはずの約束を、にもかかわらず本気で守れると思って交わす、ある種の「子供っぽさ」なんですよね。こんな約束、たぶん子供じゃないと怖くてできない。それでも、そこに意図的な裏切りはないんですよ。信じられない大人とは違って、最初から守るつもりのない約束を交わしているわけじゃない。それにね、何よりも重要なのはこの約束が大人と子供じゃなくて、子供同士で交わされてるってことなんですよ!

信じるための「子供っぽさ」

 もちろん、現実的に考えたら普通は大人よりも子供のほうがあてにならない。自分と同じような年齢の少女とこんな約束をしたからって、困っているときに実際に助けてもらえる可能性はかぎりなく低い。低いんだけど、それでもこの約束が少年にとって信じられるのは、そこに子供同士っていう対称性があるからなんです。

 子供は大人に対しては無力だから、ただ一方的に助けられるのを待つことしかできない。もしかしたら裏切られるかもしれない。だからどうしても信じきれない。だけど子供同士なら、相手に助けられてばかりじゃなくて、もし相手が困っていたら、今度は自分が手を差し伸べる側になることができる。相手を助けたいと思う自分自身の存在が、ひるがえって自分を助けたいと思ってくれる相手を信じる根拠になる。この約束の対称性、あるいは互酬性のおかげで少年はもう一度、誰かを信じられるようになるんです。
 この信頼って「絶対に約束を守ってくれるにちがいない」と信じることとはかなり違う。そうじゃなくて、言ってみれば「自分が苦しいときに、助けたいと思ってくれる人が世界のどこかにいる」っていうタイプの信頼なんですよ。たとえそれが実際の役には立たなくても、そのおかげで精神的に持ちこたえられることはたしかにある。特に大人=アンパンマンが信じられない子供にとってはなおさら、それでも信じられる誰かがいるということの意義は大きいわけです。

 これから成長していく子供には、だんだんと親離れが必要になってくる。そのなかで同年代の友達とか、いまの時代なら顔も知らないネット上の知り合いだって当然できる。彼らは自分が困っているときに助けになるかわからないけど、それでも「助けてあげたい」と思ってくれるかもしれない。あるいは自分も相手が困っているときに「助けてあげたい」と思うかもしれない。そうやって交わす約束はたいてい果たされないから、ある意味ではすごく無責任なものなんだけど、そんな約束に本気になれる「子供っぽさ」って実はすごく大切なんじゃないか、と思うんですよね。だって、この無責任な「子供っぽさ」のおかげで初めて、私たちは誰かを信じることができるわけだから。

無責任に、手を伸ばせ

 それでね、これが構成としてすごく素晴らしいところなんですけど……そういう「子供っぽさ」は別に子供の特権でもなくて、大人だって同じようなものを持ち合わせていると思うんですよ。今回の映画も、そうやって解釈できるようになっている。

 最初のほうで、別々のお皿に盛った料理を一皿に寄せて「お子様ランチ」にした、って話したじゃない? この「お子様ランチ」を構成しているひとつひとつは、大人が食べているものとまったく一緒なわけですよ。それは裏返せば、たとえ大人であってもそういう「無責任な約束」を交わすことができる、ってことを示唆していると思うのよね。誰にでも「子供っぽさ」は宿っていて、ただお皿を分けるかどうかの差しかそこにはない。
 これが、やっぱり最初のほうで話した「プリキュアじゃなくてもヒーローになれる」につながっているんですよ。すごい力を持った特定の誰かじゃなくて、誰もが「無責任な約束」を交わせる可能性を秘めていて、全然知らない人でも心のどこかに「助けてあげたい」という気持ちを持っている。だからあなた/私は、目の前に困っている人がいたら無責任に手を差し伸べる「ヒーロー」になることができる。正義とか倫理とかのはるか手前で、誰もがヒーローになれるポテンシャルを「子供っぽさ」というかたちで持っているんだ、っていう話になるわけです[図3]

図3:『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』より、コメコメ
©2022 映画デリシャスパーティ♡プリキュア製作委員会

 しかも、しかもですよ。『デパプリ』は「ごはんは笑顔♡」ってキャッチコピーだから、みんなが普通に食べてるごはんを介して、具体的にはそれを分け合ったりすることで誰かを助けられるかもしれない、っていうメッセージを発している。いつもの日常に少しだけ「子供っぽさ」を取り戻すことで、人は誰でもヒーローになれるんです。
 それが映画では「大人だってお子様ランチを食べてもいい!」というシンプルで力強いフレーズにまとめられていて、とても素晴らしかったですね。

 大変おいしゅうございました。ごちそうさまでした。

著者

すぱんくtheはにー Spank “the Honey”

原稿依頼、いつでもお待ちしております。締切厳守、いつもにこにこ修正即応。なんでも書きます、なんでも。ご連絡はツイッターのDMか、Eメールアドレス(spankpunk888アットマークgmail.com)までよろしくおねがいします。

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