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救済のパラフレゾロジー──長崎、京アニ、きみの色|てらまっと
かれこれ10年ほど前、原爆に関するフィールドワークの手伝いのために何度か長崎を訪れたことがある。平和公園や爆心地公園、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館といった公式の関連施設や各種の被爆遺構に加え、長崎人権平和資料館や福済寺などの比較的マイナーな施設も巡り歩いた。 -
『君たちはどう生きるか』という悪夢──治者としての宮崎駿|noirse
平成という時代が幕を閉じて数年が経過した。けれども今でも何かが終わったとか、何かが変わったという実感はない。「平成は失敗の30年」で、「けっきょく『昭和』を清算しきれなかったネガティヴな時代」という思いがあるからだろうか。 -
“首なし” たちのユートピアのために──ゴジラ・首・すみっコぐらし|杉田俊介
劇場映画第3弾となる『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』の映画の真のラスト、Perfumeの「すみっコディスコ」が流れるエンドロールが終わったその後に、映画のスクリーンそのものが「工場=映画館」の復活した「顔」になる、いや、「首」になるということ…… -
多摩川から考える(1)──ビートたけし/北野武における境界性とその寓意について|壱村健太
漫才師、コメディアン、テレビタレント、国民的スター、文化人、映画監督、役者、演出家、歌手、小説家……。肩書はなんでもよいが、戦後日本が輩出したもっとも偉大な表現者のひとりであるビートたけし/北野武。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈10〉『ミセス・ハリス、パリへ行く』──すべてをひとつに、縫い上げて。|すぱんくtheはにー
「n(えぬ)週遅れの映画評」もついに10回目……ということで、noteからの転載ではなく書き下ろしのスペシャル回です! 何がスペシャルなのかというと、これ、普段はあまり取り上げないタイプの作品なんですよね。いつもならどこのシネコンでもやってるような邦画とか、劇場アニメの話をすることが多いんだけど、今回の『ミセス・ハリス、パリへ行く』はいわゆる「単館系の洋画」なんです。こういうのもできるんですよ! -
打ち明ける勇気──『映画 バクテン‼︎』に見る自己開示の難しさ|Kaz
2022年夏に公開された『映画 バクテン‼︎』は、青年期の高校生が「自己開示」を行うことの難しさとその重要性をリアルに描き出した作品である。本作では主要なキャラクターが自分の気持ちを周囲にうまく伝えられず、人間関係にさまざまな支障をきたしている。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈8〉『貞子DX』──目覚めたのは、「ダルい」呪い。|すぱんくtheはにー
デジタル・トランスフォーメーションッ! 貞子! ディィッ!! エェェエックスッッ!!!……つってね。ごめん、なんかやってみたかっただけ。いやでもね、『貞子DX』はそのぐらいテンションブチ上がりしちゃう傑作でした。 -
ここでもあるどこかへ──『ほしのこえ』と故郷喪失者の詩学|てらまっと
あれから10年以上の月日が流れた。仮設住宅で暮らしていた被災者の大半は復興公営住宅に移り、メルトダウンした福島第一原子力発電所の廃炉作業も地道に進められている。唯一、全住民の避難が続いていた福島県双葉町では2022年8月に避難指示が一部解除され、ようやく居住が可能になった。震災直後には50万人近くにのぼった避難者の数も、いまでは3万人余りにまで減少しているらしい。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈7〉『映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!』──無責任に、手を伸ばせ。|すぱんくtheはにー
キッズ向けのアニメや特撮には「3年入れ替え」説というのがあってですね、子供たちはだいたい3年でそれまで見ていたシリーズから卒業していく、みたいな見方があるんですよね。「仮面ライダー」シリーズなら『ゼロワン』(2019)から入った子供は『セイバー』(2020)を挟んで『リバイス』(2021)で卒業、みたいな。 -
【対談】細田守が描く「継承」と「共助」──『オマツリ男爵』から『竜とそばかすの姫』まで|noirse × 志津史比古
細田守は、今敏や新海誠と同様、「映画」という形式で作品を発表することを選んだアニメ監督と言えます。ここでは、『オマツリ男爵』から最新作の『竜とそばかすの姫』(2021)まで、細田監督の長編アニメ映画をまとめて検討してみたいと思います。 -
n(えぬ)週遅れの映画評〈6〉『今夜、世界からこの恋が消えても』──歴史の修正を、ためらわない。|すぱんくtheはにー
やっぱねぇ、こういう作品を見ると思うんですよ。原作があるとかないとか、ラブストーリーだとか、実写だとか邦画だとか、そういった分類ってあんま意味ねぇなって……。何が言いたいかっていうと『今夜、世界からこの恋が消えても』、めちゃくちゃ良かったんですよ! -
脚本家・會川昇とフィクションの戦後〈2〉故郷喪失者のフィクション──『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』|ねりま
會川昇を「戦後」の脚本家として読む。その試みの端緒として、本連載の第1回目では『機動戦艦ナデシコ』(1996−97)を取り上げ、戦争という出来事のなかで、フィクションを読むこと、語ることにおいて生じる緊張関係を論じた。政治的動員とフィクションとが絡み合う「戦争」の局面をくぐり抜け、第2回目でいよいよ我々は「戦後」の時空へと導かれる。
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