記事一覧
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アニメ批評
素材の手触り──新海誠作品の唯物論的構造分析|みなかみ
新海誠監督作品はこれまで、実写映画とも共通する「風景/キャラクター」という二項対立によって論じられることが多かった。だが、映画とアニメのあいだには制作プロセス上の大きな隔たりがある。実際にアニメの演出にも携わってきたみなかみが、セルやBG... -
アニメ批評
排水口をめぐる冒険──シャフトアニメ演出論|あにもに
いくぶん唐突な問いではあるが、「シャフト演出」と聞いたとき、ただちに連想するものと言えば何だろうか。人によってはキャラクターを非解剖学的な角度で振り向かせる「シャフ度」と呼ばれる奇妙な演技の仕方であったり、実写映像やタイポグラフィなどアニメーションの中に異なる素材を忍ばせる手法であったりと、一見して風変わりな演出の数々を思い浮かべるかもしれない。 -
アニメ批評
生誕の喜劇──アニメ『けいおん!』と日常系の臨界点|志津史比古
村上春樹は、『国境の南、太陽の西』の中で、ひとりっ子の主人公に「自分にもし兄弟がいたら」という空想を思い描かせている。いや、正確に言うならば、そうした仮想が繰り広げられそうになる瞬間に、それを制止させている。主人公は、母親から尋ねられたときに、次のような返答をしたという。 -
映画批評
『君たちはどう生きるか』という悪夢──治者としての宮崎駿|noirse
平成という時代が幕を閉じて数年が経過した。けれども今でも何かが終わったとか、何かが変わったという実感はない。「平成は失敗の30年」で、「けっきょく『昭和』を清算しきれなかったネガティヴな時代」という思いがあるからだろうか。 -
ゲーム批評
加速する“JRPG”の到達点──『ファイナルファンタジー16』がそれでもムービーにこだわる理由|すみ
2023年6月に『ファイナルファンタジー16』が発売された。多くの期待と不安が寄せられた本作であるが、その評価をめぐっては大きく意見が分かれている。大手ゲームメディアサイトの平均点を算出するメタスコアでは、100点満点中87点と比較的高い点数を獲得している。 -
映画批評
“首なし” たちのユートピアのために──ゴジラ・首・すみっコぐらし|杉田俊介
劇場映画第3弾となる『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』の映画の真のラスト、Perfumeの「すみっコディスコ」が流れるエンドロールが終わったその後に、映画のスクリーンそのものが「工場=映画館」の復活した「顔」になる、いや、「首」になるということ…… -
映画批評
多摩川から考える(1)──ビートたけし/北野武における境界性とその寓意について|壱村健太
漫才師、コメディアン、テレビタレント、国民的スター、文化人、映画監督、役者、演出家、歌手、小説家……。肩書はなんでもよいが、戦後日本が輩出したもっとも偉大な表現者のひとりであるビートたけし/北野武。 -
美術批評
多次元性新生児──古谷利裕の作品がゴミまたは糞であることの可能性|永瀬恭一
わけのわからないものがある。少し見て、とりあえず異質であることは感じるのだが、それは、異質ではあるけれども美しい、のではない。とにかく異質なのであってその異質さはどこにも結びついていない。 -
音楽批評
かつて「少女」だったオトナたちへ──STAR☆ANIS《カレンダーガール》論|萱間 隆
子供はもちろん、大人にも人気の高い女児向けアニメ『アイカツ!』のEDを飾る名曲《カレンダーガール》。だが、同曲の歌詞に込められたメッセージはしばしば誤解されているという。人気曲にもかかわらず、なぜそのような誤解が生じるのか。「真剣な遊び」... -
漫画批評
瞬間、人生、永遠──『鬼滅の刃』の3つの時間|きゃくの
ごく個人的な話題から始めたいと思います。およそ10年ほどまえ、高校生だったころ、わたしは人並みに熱心な「オタク」でした。とにかくアニメや漫画、それからライトノベルがすごく好きで、多くの時間を作品の鑑賞にささげていました。 -
アニメ批評
日常における遠景──「エンドレスエイト」で『けいおん!』を読む|志津史比古
「セカイ系」では、非日常的な状況を持ち出すことで、日常の価値を逆照射しているところがあった。こうした日常の価値を、非日常的な設定を持ち出すことなく、率直に称揚していく作品が「日常系」なのではないか。 -
座談会
【座談会】日常のゆくえ──京アニ事件から『ぼっち・ざ・ろっく!』まで|舞風つむじ×noirse×てらまっと
この座談会では、2010年代半ば以降の「日常系アニメ」について考えていきたいと思います。また議論にあたっては、2014年に開催されたシンポジウムの発表原稿を編んだアンソロジー『日常系アニメのソフト・コア』が叩き台になると思い、同論集の寄稿者であるnoirseさんとてらまっとさんをお呼びしました。
