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京都喫茶紀行〈1〉ELEPHANT FACTORY COFFEEのみつけかた|倉津拓也

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文・写真:倉津拓也

月の夜に変電所でみたものは象と、象しか思い出せない

── 千種創一『砂丘律』

 思想家の岡倉天心によって書かれた『茶の本』は1906年、日露戦争の終結後に出版された。そこには以下のような文章がある。

世界は我欲と俗悪の闇の中を手さぐりで歩いている。知識は疚しさの意識によって得られ、博愛は功利のためにおこなわれる。東と西は狂乱の海に翻弄される二匹の竜のごとく、生命の宝玉を取り戻そうとむなしくあがいている。われわれはこの大荒廃を繕うためにふたたび女媧を必要としている。アバターの出現を待っている。その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。1

 現代においても世界は何も変わっていない。大国間の全面的核戦争の脅威はいまだ残存し、戦地では虐殺や拷問が組織的に行われ、国内では元首相がテロによって殺される。私たちにできることは何もない。女媧は到来するのかもしれない。アバターは出現するのかもしれない。しかしそれは、今ではない。

 そんなとき、私たちは喫茶店に行く。そして一杯の珈琲をすする。ソファの座り心地に安らぎ、テーブルの上に飾られた小さな野花に季節を感じ、控えめに流れるジャズに耳を澄ます。あまりに当たり前で、普段なら意識しないような目の前の風景を、ひとつひとつ丁寧に味わい、楽しむこと。喫茶店とは「ここではない、どこか」というよりも、「いま、ここ」にある細やかな美に出会い直し、「いま、ここ」の別様の現れに驚きながら、はかなくおろかしい日常を生き延びていくための場所なのだ。

 京都の河原町通りを蛸薬師通りで東に曲がる。なんの特徴もない細い通りなので、本当にここを曲がるのが正しいのだろうか、と少し不安に思う。そのまま少し歩くと、左手に小さな神社がある。岬神社(土佐稲荷)だ。地域で産土神として崇敬されていて、土佐藩邸の庭に祀られていた江戸時代には、町衆も屋敷内に入って参詣することが許されていた。そして現代でもこの土地を癒やし続けている。

 街の騒がしい音はすっかり遠ざかり、方向感覚があいまいになったままさらに右折して細い路地に迷い込み、少し歩くと丸い象の看板が見える。うさぎのあとを追いかけるアリスのように象に導かれて、煉瓦の階段を上った2階にあるのが「ELEPHANT FACTORY COFFEE」だ。

 古びた小さな木の扉を開くと、剝き出しのコンクリートに囲まれた、少し薄暗い空間が広がる。かすかに流れている音楽は落ち着いたクラシックやジャズ。棚や窓際には無造作にガラクタが置かれ、本が積まれているが、決して散らかった印象はなく、そこにあるべき物体としてたしかな存在感がある。入り口と奥側にテーブル席、窓に沿ってカウンター席があり、一人でも気軽に入ることができる。三条京阪のブックオフや三条烏丸の大垣書店でじっくりと本を選び、軋むアンティークの椅子に座ってページをめくる。それは京都で過ごすもっとも豊かな時間となるだろう。

 ドリンクのメニューは珈琲、紅茶、グレープフルーツジュース、ビール。珈琲と紅茶はいくつかの種類から選ぶことができる。珈琲は深煎りのものが多く、しっかりとしたコクと心地よい苦味は、チーズケーキやチョコレートケーキにとてもよく合う。

 喫茶店の良さは、単に味だけで決まるわけではない。おいしいと評判のお店に行ったものの、店が忙しすぎて接客がぞんざいだったり、ゆっくりと味わっていたら厨房から怒鳴り声が聞こえて台無しになったりといった経験はないだろうか。従業員の労働環境も含めて、喫茶店の体験はデザインされなければならない。例えばELEPHANT FACTORY COFFEEの居心地の良さは、そのメニュー構成に支えられている。フードはあらかじめ作っておいたケーキを切って出すのみで、他の作業はすべてドリンクと接客にあてることができる。油を使用した料理がないので洗い物の手間もかからない。余裕のあるオペレーションが組まれた結果、ゆったりとした時間が従業員を通じて、珈琲の香りとともに店の全体に広がっている。

 営業時間は13:00〜25:00。ランチタイムから少しズレた時間に開店し、メニューからトーストやサンドイッチといった軽食を削ることによって、かなり客層を絞った店であることを示している。ここには「インスタ映え」による共感の獲得を競う相互評価ゲームのプレイヤーは来ない。そのため有名店ながら、混雑し行列ができているところを見たことがない。「こちらに名前と人数を書いてお待ちください」という名簿も、順番待ちの人たちが座る椅子もない。店が満席の時には「すみません、ただいま満席でして」とやんわり帰ってもらう方向で応対している。ずらりと並んで待っている客の視線に圧迫感を覚えながら、飲み終えた珈琲の余韻を楽しむのは難しい。店を出るまでの時間も喫茶店の体験なのだ。

 店名であるELEPHANT FACTORY COFFEEの由来は、村上春樹のエッセイ集『象工場のハッピーエンド』(1983)だ。批評家の久居つばきがくわ正人との共著『象が平原に還った日 キーワードで読む村上春樹』で指摘しているように、デビュー作の『風の歌を聴け』(1979)以来、村上作品において「」は特別な役割を担ってきた。

 それではELEPHANT FACTORY、つまり「象工場」とは何か。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)には以下のような記述がある。

「つまり我々の頭の中には人跡未踏の巨大な象の墓場のごときものが埋まっておるわけですな。大宇宙をべつにすればこれは人類最後の未知の大地と呼ぶべきでしょう。

 いや、象の墓場という表現はよくないですな。何故ならそこは死んだ記憶の集積場ではないからです。正確には象工場と呼んだほうが近いかもしれん。そこでは無数の記憶や認識の断片が選りわけられ、選りわけられた断片が複雑に組み合わされて線を作り、その線がまた複雑に組み合わされて束を作り、そのバンドルがシステムをつくりあげておるからです。それはまさに〈工場〉です。それは生産をしておるのです。工場長はもちろんあんただが、残念ながらあんたにはそこを訪問することはできん。アリスの不思議の国(ワンダーランド)と同じで、そこにもぐりこむためにはとくべつの薬が必要なわけですな」2

 この〈工場〉を、精神分析学者のフロイトのいう「無意識」のようなものとして捉えてみよう。そこにはもう思い出すことができない、しかし確かに存在した記憶の欠片が収蔵されているのだ。私たちがすっかり忘れてしまったこと、忘れてしまったということさえ忘れてしまったこと、そんな象たちがいる場所を訪問するための「とくべつの薬」──それがELEPHANT FACTORY COFFEEで提供される珈琲の正体だ。

 名所旧跡を観光し、星付きの料亭で懐石料理に舌鼓を打ち、家族や友人との親密な会話を楽しんだ冬の帰り道、しかし何かを忘れている気がする。私はなんのために京都に来たんだろう。もう少しで何かを思い出しそうになる。あと少し、あと少しだけ……。そんなとき、繁華街の路地裏でひっそりと営業しているあの喫茶店を思い出す。象のあとを追いかけて、私は、あなたは、ELEPHANT FACTORY COFFEEの扉を開く。

「あんたはその世界で、あんたがここで失ったものをとりもどすことができるでしょう。あんたの失ったものや、失いつつあるものを」

「僕の失ったもの?」

「そうです」と博士は言った。「あんたが失ったもののすべてをです。それはそこにあるのです」3

喫茶店情報

ELEPHANT FACTORY COFFEE

〒604-8023 京都府 京都市 中京区 備前島町 309

☎ 075-212-1808

13:00〜25:00(木曜日は19:00まで)

※営業時間・定休日等は記載と異なる場合があります。

著者

倉津拓也 Takuya Kuratsu

1979年愛媛県生まれ。京都大学法科大学院法学研究科法曹養成専攻修了。書店員。関西クラスタ。じんぶんTV。主な論考に「幽霊に憑かれた『存在論的、郵便的』」(『はじめてのあずまんω』)、「金森修「動物に魂はあるのか」サマリー」(『ゲンロンサマリーズセレクション25』)、「静止した闇の中で」(『フィルカル Vol.6 No.3』)など。『読書会の教室』(晶文社)にコラム執筆&対談者として参加。

Twitter:@columbus20

YouTubeチャンネル:じんぶんTV

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脚註

  1. 岡倉天心『茶の本:英文収録』桶谷秀昭訳、講談社学術文庫、1994年、24頁。[]
  2. 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』下巻、新潮文庫、1988年、80頁。[]
  3. 同書、109頁。[]

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