アニメ批評– category –
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アニメ批評
ツインテールの天使——キャラクター・救済・アレゴリー|てらまっと
2011年3月11日──。あの日を境に、オタク文化もまた変わってしまったのだろうか。森川嘉一朗によれば、オタク文化は「永続する強固な日常(とその閉塞感)」の上に成立してきたが、いまや「永続する日常という基盤自体に亀裂が走っている」。また竹熊健太郎によれば、オタク的な表現は「変質するしかない」。なぜならそれは、オタクの「豊かな日常を前提としたライフスタイル」に支えられているからだ。 -
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素材の手触り──新海誠作品の唯物論的構造分析|みなかみ
アニメの画面に描かれている諸要素は、我々の瞳を強く刺激し続ける「素材」としての輝きを放っている。無論アニメの作り手たちはセルで描かれたキャラクターでもいいし、背景美術でもかまわないが、いかにそれらの持つ(というか持たざるを得ない)物質性から遠く離れてフィクションを構築しうるかを常に思考=志向している。 -
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排水口をめぐる冒険──シャフトアニメ演出論|あにもに
いくぶん唐突な問いではあるが、「シャフト演出」と聞いたとき、ただちに連想するものと言えば何だろうか。人によってはキャラクターを非解剖学的な角度で振り向かせる「シャフ度」と呼ばれる奇妙な演技の仕方であったり、実写映像やタイポグラフィなどアニメーションの中に異なる素材を忍ばせる手法であったりと、一見して風変わりな演出の数々を思い浮かべるかもしれない。 -
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生誕の喜劇──アニメ『けいおん!』と日常系の臨界点|志津史比古
村上春樹は、『国境の南、太陽の西』の中で、ひとりっ子の主人公に「自分にもし兄弟がいたら」という空想を思い描かせている。いや、正確に言うならば、そうした仮想が繰り広げられそうになる瞬間に、それを制止させている。主人公は、母親から尋ねられたときに、次のような返答をしたという。 -
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『君たちはどう生きるか』という悪夢──治者としての宮崎駿|noirse
平成という時代が幕を閉じて数年が経過した。けれども今でも何かが終わったとか、何かが変わったという実感はない。「平成は失敗の30年」で、「けっきょく『昭和』を清算しきれなかったネガティヴな時代」という思いがあるからだろうか。 -
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日常における遠景──「エンドレスエイト」で『けいおん!』を読む|志津史比古
「セカイ系」では、非日常的な状況を持ち出すことで、日常の価値を逆照射しているところがあった。こうした日常の価値を、非日常的な設定を持ち出すことなく、率直に称揚していく作品が「日常系」なのではないか。 -
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【座談会】日常のゆくえ──京アニ事件から『ぼっち・ざ・ろっく!』まで|舞風つむじ × noirse × てらまっと
この座談会では、2010年代半ば以降の「日常系アニメ」について考えていきたいと思います。また議論にあたっては、2014年に開催されたシンポジウムの発表原稿を編んだアンソロジー『日常系アニメのソフト・コア』が叩き台になると思い、同論集の寄稿者であるnoirseさんとてらまっとさんをお呼びしました。 -
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失われた星を求めて──アニメ『美少年探偵団』のクィア・リーディング|あにもに
2021年に放送された『美少年探偵団』は、西尾維新の同名小説を原作とするテレビアニメである。西尾維新の〈物語〉シリーズと同様、本作もアニメーション制作会社シャフトが手掛けている。 -
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婚約指輪を外すために──『リズと青い鳥』にみるフィクションの政治性|てらまっと
こんにちは、てらまっとと申します。今回、初めてお目にかかる方も多いと思いますので、発表の前に簡単に自己紹介させていただきます。インターネット上ではふだん「バーチャル美少女セルフ受肉アニメ批評愛好家」として、アニメ批評っぽい文章をブログや同人誌に載せたり、ツイキャスでアニメ批評っぽい雑談を配信したりしています。 -
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打ち明ける勇気──『映画 バクテン‼︎』に見る自己開示の難しさ|Kaz
2022年夏に公開された『映画 バクテン‼︎』は、青年期の高校生が「自己開示」を行うことの難しさとその重要性をリアルに描き出した作品である。本作では主要なキャラクターが自分の気持ちを周囲にうまく伝えられず、人間関係にさまざまな支障をきたしている。 -
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桜の森の眼差しの下──アニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』後期オープニング論|あにもに
2020年に放送が開始されたテレビアニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』には、テレビアニメの本編にも原作のスマートフォン用ゲームにも描かれなかったもうひとつの “顔” が存在する。それはテレビアニメにとって不可欠な「オープニング」の映像である。 -
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ここでもあるどこかへ──『ほしのこえ』と故郷喪失者の詩学|てらまっと
あれから10年以上の月日が流れた。仮設住宅で暮らしていた被災者の大半は復興公営住宅に移り、メルトダウンした福島第一原子力発電所の廃炉作業も地道に進められている。唯一、全住民の避難が続いていた福島県双葉町では2022年8月に避難指示が一部解除され、ようやく居住が可能になった。震災直後には50万人近くにのぼった避難者の数も、いまでは3万人余りにまで減少しているらしい。