2024年8月30日に公開された山田尚子監督の最新作『きみの色』について、当サイト管理人が舞台となった長崎の歴史を踏まえ、変えられない出来事の意味を書き換える「パラフレーズ」という観点から論じる。なお、本記事には『きみの色』の結末に関する記述が含まれる。
The Paraphrasology of “Salut”: Nagasaki, Kyoto Animation, and Kimi no Iro|teramat
文:てらまっと
かれこれ10年ほど前、原爆に関するフィールドワークの手伝いのために何度か長崎を訪れたことがある。平和公園や爆心地公園、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館といった公式の関連施設や各種の被爆遺構に加え、長崎人権平和資料館や福済寺などの比較的マイナーな施設も巡り歩いた。路面電車が行き交う穏やかな街で、山肌に張りつくような急な坂道と長い階段が印象に残っている。
山田尚子監督&吉田玲子脚本の最新作『きみの色』(2024)は、長崎にある架空のミッションスクール・虹光女子高等学校を舞台にしたバンドアニメだ。人間の “色” が見える信心深い女子高生・トツ子と、同スクールを中退したきみ、そして五島列島の離島に住む男子高生・ルイの3人がひょんなことからバンドを結成し、文化祭のステージでライブ演奏するまでの経緯を描く。山田監督の出世作である『けいおん!』シリーズを彷彿とさせる設定で、とくに『映画けいおん!』(2011)のセルフオマージュと思しきシーンやショット、モチーフがちりばめられているほか、同シリーズのキーボード担当・琴吹紬を演じた寿美菜子もルームメイト役で参加している。そういえばトツ子の楽器もキーボードだし、まっすぐながら少しとぼけた性格や丸っこい体型、そしてまばゆいブロンドの髪には、どことなく紬の面影も感じられる3。
『きみの色』は一見したところ、山田&吉田コンビが得意とする、思春期の少年少女の揺れ動く心を繊細に描き出した作品に思えるかもしれない。なるほど、たしかに本作はこれまで2人がタッグを組んできた京都アニメーション制作の劇場用アニメの系譜──『映画けいおん!』から『たまこラブストーリー』(2014)、『聲の形』(2016)、そして『リズと青い鳥』(2018)まで──に連なるものだろう。それは疑いようがないのだが、しかし同時に、本作にはもうひとつの旋律もまた重く静かに鳴り響いている。山田が京都アニメーションを離れ、吉田とともにサイエンスSARUで手がけた『平家物語』(2021)の琵琶の調べ──すなわち、悲劇的な大量死の余韻である。
裏地の模様
「『きみの色』には大量死が関わっている」などと言われると、善良なファンの多くは眉をひそめるにちがいない。少なくとも本編に描かれた範囲では、主要な登場人物の誰ひとりとして亡くなってはいないし4、彼女たちの死がほのめかされているわけでもないからだ。にもかかわらず、本作には濃密な死の気配、それも悲劇的な大量死の気配がいたるところに立ち込めている。この気配はどこから漏れ出してくるのだろうか。
冒頭、主人公のトツ子はミッションスクールに併設された聖堂のベンチに腰かけ、神妙な面持ちで「ニーバーの祈り」の有名な一節を口ずさむ。
「神さま、変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与えください」
この祈りの言葉を本作のキーフレーズとしてとらえるなら5、トツ子にとっての「変えることのできないもの」とは何だろうか。それは言うまでもなく、生まれつき人間の “色” が見えるという彼女の特異体質のことだろう。アニメ本編では断片的にしか描かれないが、トツ子は幼少期、この体質のせいでちょっとした人間関係のトラブルを経験する6。それ以来、自分がほかの人たちと違うことを強く意識し、色が見えることを友人にもひた隠しにしており、吉田いわく「どこか後ろめたい気持ち」7を抱え込んでいる。
よく知られているように「ニーバーの祈り」にはさらに続きがある。「変えることのできるものについては変えるだけの勇気を、そして変えることのできるものと、できないものとを区別できる知恵をお与えください」というのがそれだ。学校のシスター・日吉子にそのことを指摘されたトツ子は、短い沈黙のあと「私が願っているのは、まずは平穏で……」と口ごもる。ここからうかがえるのは、本作がトツ子、きみ、ルイという主要登場人物たちそれぞれの「変えることのできないもの」をめぐる物語である、ということだろう。そしてそれはとりもなおさず、彼女たちが互いの交流やバンド活動を通じて「変えることのできないもの」を受け入れ、同時に「変えることのできるもの」を変える勇気と、両者を区別する知恵を手に入れるプロセスでもあるにちがいない。さしあたってトツ子の悩みが自身の特異体質だとしたら、きみの場合は高校中退を祖母に伝えていないこと、そしてルイは離島の医者の家系に生まれたことだろう。
だがそれはそうだとしても、本作にはテーマとモチーフ、あるいは主題と意匠とのあいだに大きな落差があるようにも感じられる。少女たちの悩みは本人にとっては一大事だろうが、少なくともトツ子に関していえば、毎朝足しげく聖堂に通って手を合わせ、十字を切って神に祈りを捧げるほどの深刻な問題にはどうしても思えないからだ。監督自身が本作について「ストレスじゃない部分を大事にしたかった」8と語っているとおり、トツ子が自身の体質によって生活に支障をきたしたり、心理的に追い込まれたりしている様子はほとんどない。また小説版によると、両親はほぼ無宗教の典型的な日本人だから、敬虔なクリスチャン家庭で育った宗教2世というわけでもない9。要するに、わざわざ信仰にすがらなければならない説得的な理由が見当たらないのだ。これはたんにわたしが不信心者だからだろうか。祈りの効用を忘れた現代人だからだろうか。そうかもしれない、しかし……。
『きみの色』を見た少なからぬ観客は、全編にわたってあまりにも濃厚に漂う宗教色、キリスト教色にいくぶん面食らったにちがいない。もちろん、ミッションスクールが舞台なのだから、キリスト教のモチーフが目立つのは当たり前だろう。だが、たとえそう言い聞かせたとしても、トツ子の敬虔さは平均的な日本人の水準をはるかに超えている。事実、終盤の文化祭のライブシーンでは、同じミッションスクールの生徒にすら「毎日ひとりで聖堂にいる子」とやや侮蔑的に評されている。実態はともかく、無神論者が6割以上(キリスト教人口はわずか1%程度10)を占めるとされる本邦で、これほど信心深い主人公を登場させることに興行上の躊躇はなかったのだろうか。カトリシズムになじみの薄いわたしからすると、中退した友人を寮の自室に泊まらせるくらいで「罪」や「罰」、「告解」といった宗教用語がポンポン出てくること自体、どこか異様な印象を覚える。日常会話や楽曲のタイトル、歌詞のサビにまで連発される「アーメン(かくあれかし)」にいたっては言うまでもない。
とはいえ、そんなことは制作側も重々承知にちがいない。むしろ本作について問われるべきなのは、にもかかわらずなぜ、トツ子のような信仰に篤い人物が主人公として呼び出されなければならなかったのか、ということだろう。そしてその答えは、山田監督の信仰告白でもないかぎり11、ただひとつしか考えられない。『きみの色』という作品が、本来なら宗教的な次元でしか語りえない問題を背負い込んでいるためだ。
では、それは具体的にどのような問題なのだろうか。アニメ本編には(そして小説版にも)それらしい描写は何ひとつ見当たらないが、むしろそのことによって、画面外に充満する不穏な気配をいやおうなく意識させられる。山田監督は本作のパンフレットに掲載されたインタビューで、トツ子たちの悩みについてこう語っている。
内容としてはそんなことで……と思われるものではありますが、心に持った秘密はどんどん自分の中で大きくなっていってしまう。秘密を持っていること自体が、悩みになっていってしまうんですよね。抱えているものが大きくても小さくても、心の秘密は傷になる。12
ここで監督が述べているのは、トツ子たちの「心の秘密」がそれぞれにとっては切実なものであり、一般的な物事のスケールで測れるものではない、という当たり障りのない話にも聞こえる。だが、最後の一文はいささかニュアンスが異なる。「抱えているものが大きくても小さくても」という譲歩節には、いったん退けられたはずの世間一般の大小のスケールが、まるでクラインの壺のように、ひそかに再参入しているからだ。
それぞれの個人的な悩みが権利上はひとしく一大事なのだとしても、それはつねに世間一般の、間主観的な物事のスケールに対する “抵抗” においてでしかない。個々人にとっては重大な「心の秘密」でも、世間的には大した問題ではなく、そして自分自身も頭ではそのことをわかっている。悩みとは往々にしてそういうものだろう。「そんなことで……」と蔑むのはぶしつけな第三者というよりも、むしろ自分自身のなかに内面化された他者の声、世間の声である。なぜわたしはこんなことで悩んでいるのだろうか。わたしよりも苦しんでいる人、大変そうな人はいくらでもいる。それなのに、どうしてわたしは自分のことばかり……。再帰的な自意識のループが悩みをますます深め、悩みについての悩みを呼び起こし、いつしか取り返しのつかない「傷」となる。「心の秘密」が「どんどん自分の中で大きくなっていってしまう」のは、こうした再帰/反省(リフレクション)のためでもあるはずだ。
だが、これはひるがえっていえば、トツ子たちの(世間的には)小さな悩みの裏側に、より大きな──ことによると人類史的なスケールの──悩みがつねに縫い合わされている、ということではないだろうか。そしてトツ子は、彼女自身の「心の秘密」をめぐる果てしないフィードバック・ループのなかで、人間ひとりではとうてい抱え込むことのできない悩み、いわば人類史的な「傷」を、無意識のうちになぞり続けているのではないか。だからこそ彼女は、自分自身でもよくわからないまま、現代日本では考えられないほどの敬虔さで、毎朝神に祈りを捧げているのではないか……。
これは一見すると、たんなる深読みに思えるかもしれない。だが「そんなことで……と思われるものではありますが」と山田監督が先回りして擁護するとき、監督は明らかに、少女たちの「心の秘密」よりもはるかに大きなもの、もはや決して贖えないものをあらかじめ念頭に置いたうえで、わざわざそれを画面外に──つまりは観客の、そして登場人物の意識の外に──フレームアウトさせている。「今回は嫌な感情がない世界にする」13と宣言して川村元気プロデューサーを驚かせたのも同じ理屈だろう。川村はそこに「強い決意」を感じたと語り、山田はそれを「ちょっとした反骨精神」14と表現しているが、ここには本作を決定づける態度、いわば決然とした慎ましさのようなものが表れている。そしてそれは不可避的に、決して描かれなかったものたちを影のようにつきまとわせ、また補色のように際立たせるだろう。
大量死の血なまぐさい気配が漏れ出てくるのは、まさにここからである。「神さま、変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与えください」とトツ子が唱えるたび、わたしは思わずぎくりとする。彼女たちにとっての「変えることのできないもの」、すなわち思春期のささやかな悩みの裏側に、わたしたち日本人にとっての、いや人類にとっての「変えることのできないもの」、すなわち過去に経験したいくつもの大量死の記憶が、アラベスク模様のごとく編み込まれているのを感じずにはいられないからだ。
なぜ『きみの色』の舞台は長崎なのか。なぜ本作の主人公はミッションスクールに通っているのか。なぜ本作は『けいおん!』を彷彿とさせる設定なのか──。これらの問いが指し示すのは、もはや決して「変えることのできない」ひとつの古い傷痕であり、またひとつの真新しい傷跡である。「抱えているものが大きくても小さくても、心の秘密は傷になる」。少女たちの控えめな制服の裏地には、折り重なる無数の遺体の影が、生き残ってしまった者たちの苦悩が、ひそかに縫い合わされている。
大量死の記憶
長崎駅から路面電車に乗って約10分、平和公園駅で降りてさらに8分ほど坂道をのぼると、鉄筋コンクリート造のカトリック浦上教会が見えてくる。この場所にはかつて、東洋一とうたわれた壮麗なレンガ造りの浦上天主堂がそびえていた。長崎市北部の浦上地区には16世紀のキリスト教伝来以降、数多くのカトリック信徒が暮らしており、江戸幕府による苛烈な迫害に遭いながらも「隠れキリシタン」として250年にわたって信仰を守り続けた。明治に入って禁教が明けたあと、信徒たちがわずかな資金を持ち寄り、30年の歳月をかけて建設したのが浦上天主堂だった。
1945年8月9日午前10時、浦上天主堂では6日後に迫った聖母被昇天の祝日に備えて、告解(ゆるしの秘蹟)が行われていた。同10時58分、米軍の爆撃機B-29「ボックスカー」が高度9,000メートルからプルトニウム型原子爆弾、通称「ファットマン」を投下。同4分後の11時2分、長崎上空500メートルで炸裂したファットマンにより、爆心地の北東約500メートルに位置していた浦上天主堂は、側壁の一部を残してほぼ全壊する。司祭・副司祭およびその場にいた数十人の信徒は原爆の熱線を浴び、あるいは瓦礫の下敷きとなってその場で全員が死亡した。浦上地区のカトリック信徒12,000人のうち、およそ8,500人が原爆によって亡くなったといわれる。
長崎の、それもミッションスクールを舞台にした『きみの色』を見たとき、まずわたしの脳裏に浮かんだのは浦上天主堂の顚末だった。10年ほど前に訪れたときの記憶がいまだに焼き付いていたせいだろう。とくに印象に残っているのが、倒壊した天主堂の瓦礫のなかから見つかった《被爆マリア》だ。かつて正面祭壇の最上段に鎮座していた全高2メートルのマリア像は、両眼に青いガラス玉がはめ込まれ、鮮やかな水色の衣をまとい、頭上に12の星をいただく美しい彫像だったという。ファットマンにより焼失したと考えられていたが、戦後、焼け跡から頭部のみが発見され、のちに再建されたカトリック浦上教会に安置されている。
《被曝マリア》が忘れがたい印象を残すのは、原爆に焼かれた頰と髪、そして何よりも黒々と落ちくぼんだ眼窩の底知れない暗さのためだ。色とりどりの光を透過し、また反射していたであろうガラスの瞳がはめ込まれていた部分には、いまやブラックホールのごとき漆黒の闇が浮かんでいる。これは『きみの色』冒頭で軽やかに、またリズミカルに表現される色(光の波)のメカニズム、そしてトツ子のステンドグラスのような視覚の対極に位置している。マリア像が最後に見た光──彼女の透き通った両眼を焼き、永久の暗闇に閉ざしたその光は、いったい何色だったのだろうか。
ロケハンのために長崎を訪れた制作スタッフが、浦上のランドマークとも言うべき教会の存在を知らなかったとは考えられない。彼女たちは《被爆マリア》と対面しただろうか。『平家物語』の主人公・びわと同じく視力を失い、盲者となったマリア像の少しふくよかな相貌は、トツ子の丸く柔らかな輪郭を思い起こさせる。そういえば、同教会までの坂道に立つ「平和の聖母像」のすっきりと鼻筋の通った顔は、シスター・日吉子によく似ている。
『きみの色』のエンドクレジットには、本作の舞台となったいくつかの教会と並んで「カトリック長崎大司教区」の記載がある。浦上教会はその中心となる司教座聖堂、つまり大司教のいる大聖堂(カテドラル)にあたる。とはいえ、作中の虹光女子高等学校のモデルは兵庫の神戸女学院、学校併設の聖堂は佐世保市の黒島天主堂だから、本作を浦上天主堂と関連づける具体的な根拠は何もない(最寄りの浦上駅構内には本作のキャラクターパネルが設置されているらしいが15)。
その一方で、原爆により壊滅的な被害を受けたカトリック関連施設は、当然ながら浦上天主堂だけではなかった。爆心地から600メートルほどの距離にあった常清高等実践女学校、そして約1キロメートル離れていた長崎純心高等女学校もまた、ファットマンによって多くの犠牲者を出している。
常清高等実践女学校は浦上天主堂近くの上野町にあったミッションスクールで、設立母体はフランスに本部を置く「ショファイユの幼きイエズス修道会」。同スクールは1908年に設立された和洋裁技芸学校を前身とし、その歴史は1890年に開校した長崎初のカトリック小学校・三成女児尋常小学校にまでさかのぼる。
もうひとつの純心高等女学校は1936年、大浦天主堂の「長崎純心聖母会」を母体として設立されたミッションスクールだ。今日では「学校法人純心女子学園」として長崎純心大学、純心中学校・女子高等学校、大学附属純心幼稚園を運営している。『きみの色』全国公開の1カ月前、7月31日にTOHOシネマズ長崎で行われた先行上映&ティーチイン付き舞台挨拶には、純心中学校・女子高等学校の在校生が多数来場し、監督とキャストが質問に答えたという16。本作のエンドクレジットにも「取材協力」として同中学校・高校の名前が記されている。
1945年8月9日、爆心地に近かった常清高等実践女学校では、ファットマンの炸裂により校舎・寄宿舎など木造施設がすべて倒壊。レンガ造りの講堂や塀の一部はかろうじて原型をとどめたものの、学校に残っていた数十名のシスター・教職員はその場で絶命し、近隣の県立盲学校(三菱造船所の関連工場が設置されていた)に学徒動員されていた160名あまりの女生徒も全員亡くなった。学校の資料がすべて焼失したため、正確な被害実態はいまなおつかめていないようだが、少なくとも27名のシスター全員を含む200人近くの生徒・教職員が命を落としたとみられる17。学校は戦後の再建を経て1949年に閉校し、跡地には現在、長崎カトリックセンターと長崎信愛幼稚園が立っている。
一方の純心高等女学校も原爆によって校舎は全焼、700人あまりの生徒・教職員のうち、やはり三菱の軍需工場に動員されていた生徒(純女学徒隊)を中心に214名が死亡した。これは確認できるかぎり、長崎市内の高等女学校のなかでは最大の被害とされる19。ノンフィクション作家の高木俊朗は、生き残ったシスターや生徒らの証言をもとに『焼身 長崎の原爆・純女学徒隊の殉難』(1972)を著し、当時の惨状を克明に描き出している。とくに胸が締めつけられるのは、運良く難を逃れたシスターたちが原爆投下の翌日、そこかしこに遺体が転がる地獄のような光景のなかを、工場まで女生徒を探しにいく場面だ。
修道女たちは、大きなからだの死体からは、すぐに視線をそらせた。小さなからだの死体は、そばに近づいて見た。衣服が残っていないと、手がかりはなかった。
〔…〕うつ伏せになった死体は、背中が黒く焦げているのに、胸から腹のあたりが焼けないで残っていた。糸永修道女は、それを起こそうとして、目をつぶって、肩に手をかけた。力を入れると、ずるっと、何かがむけて、手がすべった。〔…〕胸もとに少女のおもかげがあった。服も、そこだけ残っていた。ぬいつけた名札には、純女学徒隊の文字があった。〔…〕
修道女たちは、大橋工場の西側にまわった。少女の髪をした、汚れた死体があった。顔を起こしてみると、ぶくぶくにふくれあがって、眉も目もなかった。その子の、ちぎれた服の模様に、片岡修練女は見おぼえがあった。二年の生徒であった。
〔…〕橋のかげになったところに、三人が、きちんとならんで、うつ伏していた。顔は、はれあがっていて、見わけがつかなかった。〔…〕三人とも、つい数日前に動員されて、工場にかようことになったばかりの二年生であった。20
シスターたちはその翌日も、ひとつひとつ遺体を確かめながら生徒を探し歩いた。かろうじてまだ息のあった生徒も、救護の手が足りず、また重い原爆症によって次々と死んでいった。純心高等女学校の広い校庭は三菱大橋工場で亡くなった工員や学徒隊、女子挺身隊の遺体置き場となり、およそ1週間にわたって数百人分の遺体が火葬されたという。
長崎のカトリシズム、そして浦上のミッションスクールには、権力による苛烈な弾圧と拷問死、原爆による凄惨な大量死の記憶が色濃く残っている。ロケハンや取材を繰り返したスタッフがそのことを知らなかったはずはない──というよりむしろ、だからこそ長崎を舞台に選んだと考えるほうが自然だろう。山田監督はあるインタビューのなかで、長崎について「信仰を隠さなければならなかった時代があったり、その後その地を襲ったいろいろなことを鑑みても、並々ならぬものがあるだろうと私自身も感じていました」21と率直に語っている。
また小説版では作中の虹光女子高等学校について、純心高等女学校と同様「昭和の初期にカトリックの司教によって設立された歴史ある学校」でありながら「戦火にあうことがなかったので、〔…〕美しい校舎と校庭が維持されている」22とわざわざ説明されている。北部の浦上地区ではなく旧市街の「どんどん坂の途中にある」23という設定を踏まえると、あとで述べるように、実際に立っていたとしてもそれほど大きな被害は受けなかったかもしれない。いずれにせよ「戦火にあうことがなかった」という否定形の語りは、あえて「嫌な感情」を描かなかった(とわざわざコメントする)山田監督の姿勢とほとんど同じものだ。現実/虚構という対比だけではなく、被爆の有無という意味でも、両校はまさに補色関係にあると言っていい。
だがそうだとすれば、なぜ山田監督&吉田脚本は、過去に大量死が起こった場所を舞台に、しかもそのことをあくまでフレームアウトさせながら、トツ子やきみ、ルイの「心の秘密」を描かなければならなかったのだろうか。あるいはこう言い換えることもできる──本作はいったい何を描き、そして何を描かずにおいたのか。そこにはどのような意味を読み込むことができるのか。
浦上燔祭説
時計の針をあらためて原爆投下直後に戻そう。生き残った純心高等女学校のシスターたちは、負傷した生徒や遺体の収容に奔走するかたわら、爆心地から4キロメートルほど離れた長崎市北東部の三ツ山(現在は長崎純心女子大学がある)の救護所で、医師・永井隆による手当てを受けた。永井は、原爆投下直後の長崎の惨状を記した『長崎の鐘』(1949)や『生命の河──原子病の話』(1948)、ベストセラーとなった『この子を残して』(1948)などで知られるカトリックの著述家で、妻を原爆で亡くし、自らも重症を負いながら被爆者の救護に尽力した人物だ。
戦後「長崎の聖人」とまで称された永井は、再建を果たした純心高等女学校のシスターに、原爆で亡くなった女生徒たちを偲ぶ歌を贈っている(作曲は木野普見雄)。同校の敷地内に建立された純女学徒隊の「校墓」の台座には永井の詞が刻まれ、毎年8月9日の慰霊祭では純心中学校・女子高等学校の在校生が校墓の前で斉唱するという。タイトルは「燔祭のうた」、永井による詞は以下のとおりである。
燔祭のほのほの中に うたいつつ 白ゆり乙女 燃えにけるかも24
ここで歌われている「燔祭」とは、子羊などの生贄の動物を丸焼きにして神に捧げるユダヤ・キリスト教の儀式、つまり「ホロコースト」のことだ。『この子を残して』所収の「摂理」と題された一篇には、この歌についての永井自身の解題とも言うべき記述がある。「純心の生徒たちは」と彼は記している、「工場に動員されていたが、燃ゆる火の中で讃美歌を歌いつつ、次々と息絶え、灰になっていった。それはまったく古の神の祭壇にけがれなき子羊をささげ燃やして神の御意を安らげた燔祭さながらであった。ああ、第二次世界大戦争の最後の日、長崎浦上の聖地に燃やされた大いなる燔祭よ!」25
永井は戦後、原爆に焼かれ死んでいった浦上のカトリック信徒たちを「燔祭=ホロコースト」の生贄、すなわち神への捧げ物として解釈し、原爆投下は終戦へと導く「神の摂理」なのだから嘆くにはあたらない、むしろ感謝すべきだと主張して大きな影響力を持った。いわゆる「浦上燔祭説」である。ここではそのエッセンスを伝えるものとして、原爆投下の約3カ月後、浦上天主堂跡地で行われた「原子爆弾死者合同葬」で永井が読んだとされる弔辞を引用しよう。
昭和二十年八月九日午前十時三十分ころ大本営において戦争最高指導会議が開かれ、降伏か抗戦かを決定することになりました。世界に新しい平和をもたらすか、それとも人類をさらに悲惨な血の戦乱におとし入れるか、運命の岐路に世界が立っていた時刻、すなわち午前十一時二分、一発の原子爆弾はわが浦上に爆裂し、カトリック信者八千の霊魂は一瞬に天主のみ手に召され、猛火は数時間にして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の真夜半天主堂は突然火を発して炎上しましたが、これとまったく時刻を同じうして大本営においては天皇陛下が終戦の聖断を下したもうたのでございます。八月十五日終戦の大詔が発せられ、世界あまねく平和の日を迎えたのでありますが、この日は聖母の被昇天の大祝日に当たっておりました。浦上天主堂が聖母に献げられたものであることを思い起こします。これらの事件の奇しき一致は果たして単なる偶然でありましょうか? それとも天主の妙なる摂理でありましょうか?
日本の戦力に止めを刺すべき最後の原子爆弾は元来他の某都市に予定されてあったのが、その都市の上空は雲にとざされてあったため直接照準爆撃が出来ず、突然予定を変更して予備目標たりし長崎に落すこととなったのであり、しかも投下時に雲と風とのため軍需工場を狙ったのが少し北方に偏って天主堂の正面に流れ落ちたのだという話をききました。もしもこれが事実であれば、米軍の飛行士は浦上を狙ったのではなく、神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされたものと解釈されないこともありますまい。
終戦と浦上壊滅との間に深い関係がありはしないか。世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔〔こひつじ〕として選ばれたのではないでしょうか?
〔…〕これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神はいまだこれを善しと容れたまわなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納めたまい、人類の詫びをきき、たちまち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させたもうたのであります。
信仰の自由なき日本において迫害の下四百年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかったわが浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き羔ではなかったでしょうか。この羔の犠牲によって、今後さらに戦禍を被るはずであった幾千万の人々が救われたのであります。〔…〕
主与えたまい、主取りたもう。主のみ名は賛美せられよかし。浦上が選ばれて燔祭に供えられたることを感謝いたします。この貴い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝いたします。
希わくば死せる人々の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。アーメン。26
確信に満ちた問いかけを通じて「単なる偶然」を「神の摂理」へと読み替えていく永井の言葉には、どこか異様な迫力がみなぎっている。遺族でないのはもちろん、クリスチャンですらないわたしでさえ、彼のアクロバティックな「原爆解釈」──これは明らかにアブダクション、つまり結果からさかのぼって原因を推測する仮説推論の一種だろう──には思わず引き込まれてしまう。ほかでもない長崎・浦上に原爆が投下されたのは、この地で迫害を受けながら信仰を守り抜いてきたカトリック信徒こそが「世界大戦争という人類の罪悪」を贖いうる「潔き羔」だったからだ。彼らが「犠牲の祭壇」に捧げられ、浦上が原爆という燔祭の炎にくべられたことで、ようやく世界大戦は終結し数千万の命が救われたのだ──。
永井のこうした考え方は、戦後長崎の原爆をめぐる言説を強く呪縛し、俗に「怒りのヒロシマ」に対して「祈りのナガサキ」と呼ばれるパブリックイメージの構築に大きな影響を及ぼすことになる。長崎では永井に対する批判は事実上タブー化され、1970〜80年代に入っても依然としてアンタッチャブルな雰囲気があったという。
長崎大学の教授などを務めた社会学者・高橋眞司は、1994年刊行の『長崎にあって哲学する──核時代の死と生』のなかで、永井の立場を初めて「浦上燔祭説」と命名し、真正面からこれを批判している。というのも、永井の言うように「長崎への原爆投下がもし神の摂理によるのであれば、無謀な十五年戦争を開始遂行し、戦争の終結を遅延させた、天皇を頂点とする日本国家の最高責任者たちの責任は免除されることになる」だけでなく、同時に「原子爆弾を使用したアメリカ合衆国の最高責任者たちの責任もまた免除されることになる」27からだ。永井の原爆解釈は、結果的に天皇や軍部の戦争責任を不問にし、かつ米国による原爆投下を正当化してしまう。高橋はこの「二重の免責」を浦上燔祭説の歴史的意義として位置づけ、永井の後輩にあたる医師・秋月辰一郎の言葉を引いてこう総括している──「ついていけない」と。
少なくとも政治的な文脈にかぎっていえば、高橋による永井批判に反論するのは難しい。永井が戦後「長崎の聖者」ともてはやされる一方で、高橋の指摘するように「長崎の被爆者たちは沈黙を余儀なくされ口をつぐまざるをえなかった」こと、そして「原爆にたいする怒りと恨みをたたきつけ、その責任を追及し、補償をもとめる道はこの側面においてもかたくとざされざるをえなかった」28ことは(とくにカトリック信徒以外の遺族からしてみれば)おそらく否定しがたい事実なのだろう。
にもかかわらず、ここであらためて永井の思想を取り上げたのは、いまさら浦上燔祭説の政治的妥当性を検証したいからではない。そうではなくて、永井がこのような解釈を唱えるにいたった具体的な経緯に注目してみたいのだ。その経緯は『きみの色』のいくつかのシーン、そして本作それ自体を意味づけるうえで、ひとつの決定的な補助線を提供してくれるだろう。
免責のプロトコル
高橋は浦上燔祭説の社会的背景として、長崎市の旧市街(港町)と北部の浦上地区とのあいだに、歴史的・地域的・宗教的な対立があったことに注意を促している。実は浦上地区(旧浦上山里村)が長崎市に編入されたのは1920年、原爆投下のわずか25年前にすぎない。数百年にわたるキリシタンへの弾圧と迫害のために、旧市街の人々には浦上の信徒たちに対する根深い差別意識があり、彼らがお諏訪さん(諏訪神社)の祭礼に参加しないこともよく思っていなかったという。
そこに炸裂したファットマンは、広島に投下された原爆「リトルボーイ」のように平地に同心円状の被害をもたらすのではなく、山がちな地形によって熱線と爆風が遮られ、爆心地・浦上と旧市街のあいだに被害の格差をもたらした。浦上一帯は文字どおり壊滅する一方、ちょうど山の陰になった諏訪神社、港町の市役所や長崎県庁などは当初健在で、当時の長崎県知事による第一報でも「被害の程極めて軽微にして死者並に家屋の倒壊は僅少なり」29と報告されている。つまり「原爆は『長崎に落ちた』のではなくて、『浦上に落ちた』」30のだ。
その結果、被害軽微だった旧市街の人々のあいだには、浦上への原爆投下を「キリシタンへの天罰」とみなす意識が醸成されていく。実際に永井は『長崎の鐘』のなかで、妻と5人の子供を原爆で失い、苦悩する隣人のカトリック信徒(のちに長崎原爆遺族会の会長を務めた山田市太郎)にこう語らせている。
「誰に会ってもこう言うですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残った者は神様から特別のお恵みを頂いたんだと。それじゃ私の家内と子供は悪者でしたか!」31
この「魂の叫び」に対し、永井は落ち着き払って「私はまるで反対の思想をもっています」と切り返す。「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きなみ摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」32。永井はそう断言すると、彼の言葉をうまく呑み込めない信徒に1枚の紙切れを手渡す。この紙に記されていたのが、その2日後に執り行われる「原子爆弾死者合同葬」の弔辞原稿、すなわち先に引用した浦上燔祭説の “原典” とも言うべき文章だった。原爆投下を「神の摂理」とみなす永井の推論的アクロバットは、言ってみれば「浦上天罰説」という神道的な考え方に対するカウンター、高橋の言う「切り返しの論理」33として編み出されたのだ。
しかし、ここで本当に注目すべきなのはそのあと──信徒が永井の原稿を読み終わったあとの2人のやりとりである。浦上燔祭説は(少なくともその神話的起源においては)たんなる議論のための議論ではないし、ましてや原爆投下を正当化する屁理屈でもない。『長崎の鐘』では永井の弔辞原稿が全文引用されたのち、次のような会話が続く。
市太郎さんは読み終わって眼をつむった。
「やっぱり家内と子供は地獄へは行かなかったにちがいない」しばらくして呟いた。
「先生、そうすると、わしら生き残りはなんですか?」
「私もあなたも天国の入学試験の落第生ですな」
「天国の落第生、なるほど」
二人は声をそろえて大きく笑った。胸のつかえが下りたようだ。34
ここからうかがえるのは、永井の異様な原爆解釈が何よりもまず、目の前で苦悩するひとりの隣人を慰め、励ますために差し出されているということだ。わたしの見るかぎり、ここには「切り返しの論理」という表現では決してとらえきれない、ある種の行為遂行的な側面が色濃く表れている35。
永井が浦上燔祭説を唱えたのは、原爆は天罰だと言いつのる旧市街の人々に反論し、彼らをいわば “論破” するためではなかった。そうではなくて、原爆により家族や親族、生徒や友人を失うばかりか、心ない差別や中傷にさらされ、生き残ったことを悔やむほどの極限的な苦悩を和らげるためにこそ、永井は原爆投下という出来事を「天罰」から「燔祭」へと180度ひっくり返さなければならなかったのだ。事実、自分たちを「天国の落第生」と評して笑い合うとき、そこにはたとえ束の間であれ「心の平穏」が実現していたとは言えないだろうか。
ここでようやく『きみの色』冒頭の祈りへと戻ってくる。「神さま、変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与えください」。この「ニーバーの祈り」に引きつけて言えば、永井が浦上燔祭説というかたちで実演してみせたのは、もはや決して「変えることのできない」出来事──原爆投下によるカトリック信徒の大量死──を、それでも受け入れ可能なものに変えることは可能なのか、可能だとしたらどうすればいいのか、という具体的な操作手順(プロトコル)だったのではないだろうか。そしてそのプロトコルこそ、起こってしまった出来事の “意味” を遡行的に読み替えていく、曲芸的なまでのアブダクションにほかならなかった。
たとえ事実そのものは変えられなくても、その事実に付随する評価や認識、意味といったものは事後的に変わりうるし、また変えることもできる。要するに永井は、悲嘆に暮れる目の前の信徒や合同葬に参列した遺族、大勢の教え子を亡くしたシスター、そしておそらくは自分自身に対しても「変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏」をもたらすために、原爆による大量死という出来事の意味それ自体を書き換えてしまったのだ。
実は『きみの色』にも少なくとも2カ所、永井のアクロバティックな原爆解釈と通底するような「書き換え(パラフレーズ)」が行われる印象的なシーンがある。ひとつめは物語後半、きみが店番をしている古書店「しろねこ堂」をシスター・日吉子が偶然訪れ、きみと言葉を交わす場面だ。そこで日吉子はきみに対し、トツ子と一緒に文化祭(聖バレンタイン祭)のステージに出てみないかと提案する。すでに学校を中退しているきみが躊躇すると、日吉子はさらに「卒業生でも参加できる」と続ける。「私は卒業生では……」となおさら口ごもるきみに、日吉子は確信に満ちた声でこう切り返す。
「あなたはこの学校を卒業したのです、あなた自身のタイミングで」
このとき日吉子は、きみの「中退」を「卒業」へとパラフレーズすることで、トツ子を除けば実質的に部外者しかいないバンドを半ば強引に文化祭に出場させようとしている。これはスケールこそまったく違うものの、永井の浦上燔祭説とほとんど同じアプローチではないだろうか。高校中退という「変えることのできない」出来事の意味が事後的・遡行的に読み替えられ、きみがそれを「受け入れる」──ドロップアウトした学校の文化祭で、かつてのクラスメイトや聖歌隊の後輩、そして中退したことを打ち明けられずにいた祖母を前にライブ演奏する──ための最初のきっかけになっているからだ。このささやかな書き換えがなければ、本作のクライマックスとも言うべきライブシーンはそもそも成立しない。永井が目の前の信徒のために「天罰」を「燔祭」へとひっくり返したように、ここで日吉子は「中退」を「卒業」へとひっくり返し、きみたちが「胸のつかえ」を下ろすための決定的なアシストを行っている。
これはいわゆる「訂正」とは似て非なるものだ36。原爆投下が(少なくとも大多数の日本人にとっては)「燔祭」ではありえないのと同様、きみの高校中退はいかなる意味でも「卒業」ではない。つまりこのプロトコルは、多くの人が合意しうる間主観的な「正しさ」によっては決して作動しない。むしろ世間的にはただちに訂正される側、すなわち詭弁や屁理屈、陰謀論、さらには作り話(フィクション)に近いと言うべきだろう。にもかかわらず、というよりだからこそ、それは理不尽な現実に打ちひしがれた人々を癒やすことができる。自分が正しくないことを、間違えてしまったことを悔やむ人々を慰め、励ますことができる。ほんの一時にすぎないとしても、耐えがたい罪悪感や自責感を和らげることができる。わたしはこれを「免責のプロトコル」と呼ぶことにしたい。
ふたつめのシーンでも、ひとつめとまったく同じプロトコルが機能している。こちらは物語終盤、トツ子、きみ、ルイの3人がクリスマス間近の日曜日に、離島の古い教会(久賀島の旧五輪教会堂)で文化祭に向けた練習をしていたところ、雪が降り始めて定期船の最終便が欠航になり、トツ子ときみが帰れなくなるというものだ。このとき、トツ子が寮のルームメイトに送ったメッセージを日吉子に見られてしまい、彼女から電話がかかってくる。無許可の外泊となるため途方に暮れるトツ子に対し、日吉子は電話越しに一言「合宿」とつぶやく。
「あなたたちは今日、合宿をしているのです」
このシーンで日吉子は、しろねこ堂できみに対して行った免責のプロトコル、すなわち現実のパラフレーズを、今度はトツ子に対して実行している。きみの「中退」が「卒業」へと読み替えられたように、ここではトツ子の「無断外泊」が「合宿」へと読み替えられ、船の欠航で寮に帰れないという「変えることのできない」出来事の意味が、やはり事後的・遡行的に書き換えられている。このふたつめのアシストのおかげで、トツ子、きみ、ルイの3人は教会で無事一夜を明かし、その過程でそれぞれの悩みを打ち明ける──ルイの言い方では「好きと秘密を共有」する──のだが、これは本作においてまさに「変えることのできないものについて、それを受け入れる」象徴的なシーンとして描き出されている。翌日登校したトツ子は日吉子に礼を述べたあと、晴れやかな表情でこう続ける。「変えられないものを受け入れ、変えられるものを変える勇気、というのが少しだけわかったような気がしました」。
このふたつのパラフレーズは、高橋が「浦上燔祭説」と名づけた原爆解釈のロジックをほぼ完全になぞっている。『きみの色』公開のおよそ80年前、原爆投下という「変えられないもの」を受け入れるために永井が「天罰」を「燔祭」へとひっくり返したように、本作では同じ長崎の地で、しかもカトリックのミッションスクールを舞台に、シスター・日吉子がきみの「中退」を「卒業」へ、そしてトツ子の「無断外泊」を「合宿」へとひっくり返し、彼女たちが「変えられないもの」を受け入れるための決定的なシーンが演出されているのだ。永井にならって、わたしは思わずこう言ってしまいたくなる。「これらの事件の奇しき一致は果たして単なる偶然でありましょうか? それとも天主の妙なる摂理でありましょうか?」
もちろん、だからといって脚本を手がけた吉田が永井の思想を、ましてや弔辞原稿を参照していると言いたいわけではない。吉田が永井の、こう言ってよければ “韻を踏んでいる” のは、そういう意味では「単なる偶然」にすぎないのだろう。山田監督の言うように「抱えているものが大きくても小さくても、心の秘密は傷になる」のだとしたら、原爆投下という人類史的な「傷」も、思春期のささやかな「傷」も、同じプロトコルで癒やすことができるにちがいない。そう考えれば、2人がまったく異なる経路をたどって同じ結論にたどり着いたとしても不思議はないはずだ。本作の裏地に大量死の記憶が縫い込まれているように見えたのは、やはりわたしの思い込み、ただの気のせいだったのかもしれない……。
いや、本当にそうだろうか。この2人の予期せぬ符号(ハッピーアイスクリーム!)、長崎のミッションスクールを舞台にした吉田と永井の押韻は、本当に「単なる偶然」だったのか。もし偶然なのだとしたら、この偶然はいったいなぜ、どのように生じたのか。そこには偶然の必然的な理由とでも言うべきものがあるのではないか。いずれにせよ、本作にはまだ一度も語られていないことが残っているように思われる──すなわち、もうひとつの大量死の余韻が。
世俗の知恵
シスター・日吉子が、トツ子の無断外泊を「合宿」にパラフレーズするくだりをもう一度見てみよう。ここには『きみの色』冒頭の祈りのシーンと同様、いささか奇妙に思われるほどの切迫感が漂っている。トツ子のルームメイトに携帯電話を借りた日吉子は、まずトツ子の安否を確認する──「無事ですか」。この問いかけそのものは、未成年の生徒を預かる教師/シスターとして当然の振る舞いだろう。わたしが引っかかるのはこのあとだ。日吉子は「あなたたちは合宿をしている」と言い放ったのち、次のような言葉を重ねていく。
「いま、あなたたちがそこにいることには意味があると考えてください」
「決して自分たちを責めることのないように。作永さんにも、もうひとりの方にも、そう伝えてください」
「身の安全だけは第一に考えてください」
このやりとりを聞いたとき、わたしはぬぐいがたい違和感を覚えた。このシーンで日吉子がトツ子にかける言葉としては、どう考えても大げさすぎるように感じたからだ。そもそも、雪で定期船が欠航したのはトツ子のせいではないし、ほかの誰のせいでもない。いくらミッションスクールの寮生活が厳しいからといって、生徒自身の瑕疵ではない違反、天候の急変で帰れなくなった責任まで追及されるものだろうか。仮に無許可の外泊になってしまったとしても、その旨を事前に寮や家族に連絡し、あとから詳しい事情を説明すれば、十分こと足りるのではないか。だいたい、教職員による「合宿」という言い訳が成立するくらいには融通が利くのだから。
にもかかわらず、日吉子はまるで「神の思し召し」とでも言うような口ぶりで、トツ子たちの無断外泊を懸命に正当化しようとしている。「いまそこにいることには意味がある」「決して自分を責めてはいけない」──これではまるでトツ子やきみが、自分を責めるほどの重大な過ちを犯したかのようだ。あるいはいま寮にいない、帰れないことが、のちのち深刻な罪悪感をもたらすかのようだ。トツ子の異様なまでの信心深さを考慮したとしても、やむを得ない外泊程度でこんな言葉づかいをするものだろうか。これではむしろ「とんでもないことをしてしまった」と相手に思わせてしまうのではないか。
実をいうと小説版では、このシーンの背景がかなり細かく補足されている。トツ子はすでに系列の虹光女子大学への内部進学が決まっており、翌春の卒業を前に規則違反を重ねれば、合格を取り消されるかもしれないという不安を抱えている。なるほど彼女には、すでに修学旅行を仮病でサボり、中退したきみを寮の自室に招き入れて宿泊させようとした “前科” がある。その罰としてきみと一緒に1カ月間毎日、反省文の提出と奉仕活動(ゴミ拾い)を命じられ、数週間前にようやく明けたばかりなのに、再度の規則違反となればたしかに教職員の心証は良くないだろう。「またもきみの名が出て、さらに男子も一緒であることが発覚すれば、奉仕活動レベルではない “処分” が出てしまうかもしれない」37というトツ子の不安には十分な根拠がある。
ところが、アニメ本編ではこうした背景説明がすべてカットされており、トツ子の不安がモノローグで語られるわけでもない。日吉子の言葉が奇妙なくらい大げさに感じられるのは、おそらくそういう理由もあるのだろう。だが、わたしはそれだけではないと思う。このシーンにはたんなる説明不足以上の、どこか不相応なまでに切迫した雰囲気が感じられるからだ。「無事ですか」「いま、あなたたちがそこにいることには意味があると考えてください」「決して自分たちを責めることのないように」「身の安全だけは第一に考えてください」……これらは本当に、トツ子の無断外泊についてのみ語られた言葉なのだろうか。むしろ冒頭の「ニーバーの祈り」と同様、その裏側に何か別の文脈を、補色に彩られたもうひとつの世界を暗示しているのではないか。
単刀直入に言おう。日吉子のセリフは、2019年7月18日、京都アニメーション放火殺傷事件が起こったあの日に、山田監督にかかってきた安否確認の電話がモデルになっているのではないか。
これはもちろん、ただの臆測にすぎない。5年前の事件をめぐって実際にどのようなやりとりがあったのか、部外者のわたしは何ひとつ知らないし、知りたいとも思わない。ただ事件当日、SNSなどで安否を気づかわれた数多くのスタッフのひとりとして、山田尚子の名前が挙がっていたことはたしかだ。彼女は2018年の『リズと青い鳥』を置き土産に、19年には京都アニメーションを退職していたらしいのだが、その事実は事件が起こったあとも一般には知られていなかった。聖歌隊の重圧に耐えかねて退学したきみの後ろ姿には、会社を代表する若手監督として一躍脚光を浴びながら、人知れず辞めていった監督自身が重ねられているようにも見える。少なくとも吉田の脚本が、そのような解釈の可能性を許容するものであることは疑いえない38。
そう考えると、なぜ寮の規則違反くらいで、日吉子があれほど切羽詰まった言葉を口にするのかも合点がいく。「いまそこにいることには意味がある」「決して自分を責めてはいけない」といった不相応に深刻なセリフは、悪天候で寮に帰れなくなったトツ子に宛てられたものであると同時に、事件現場の第1スタジオとは別の場所にいた、そして京都アニメーションを “中退” していた山田監督に向けられたものでもあったのではないか。だからこそ吉田は、トツ子の置かれた状況に鑑みるとどこかチグハグな、いわゆる「サバイバーズ・ギルト」を気づかうような言葉を日吉子に語らせたのではないのか。
事件の犯人が「京アニの女性監督」への偏執的な恋愛妄想に取り憑かれていたことは、公判前から繰り返し報道されていた。この女性監督が事件は自分のせいだと思いつめたり、生き残ったことへの罪悪感に苛まれたりしていてもおかしくはない。警察による事情聴取もあったかもしれない。少なくとも周囲の人たちが──日吉子がトツ子に対してそうしたように──監督のメンタルを気づかうのはごく当たり前のことだろう。日吉子によるふたつのパラフレーズ、きみとトツ子に対する免責のプロトコルが、どちらも監督自身の事情を彷彿とさせる出来事を対象としていたのは、まさにそのためではないだろうか。
もしそうだとしたら、吉田が永井の韻を踏んでいるように見えたのも辻褄が合う。つまり吉田も永井と同様、スケールこそ違うものの理不尽な大量死に遭遇し、かつ自分自身が生き残ってしまったことに苦悩する相手に対して「それを受け入れるだけの心の平穏」をもたらそうとしていたのではないか。だからこそ「変えることのできない」出来事の意味を事後的・遡行的に書き換えるという、永井とまったく同じアプローチにたどり着いたのではないか。
この仮説が正しければ、この2人の符号は「単なる偶然」ではないし、ましてや「神の摂理」でもない。そうではなくて、幾度となく大量死が繰り返されてきたこの列島上、あるいは惑星上で、生き残った者たちがそれでも前に進んでいくための「世俗の知恵」を示していると言うべきだろう。過去の出来事そのものは決して変えられないが、その意味をあとからさかのぼって変えることはできる。これは不可能を可能にする神のみわざではない。起こりえないことが起こる「神学的奇跡」ではない。そうではなくて、進化の果てに “神” という概念すら創り出したわたしたち人類の、小賢しい、だがおそらくはもっとも切実な知恵なのだ。
まさにこれこそが、冒頭の「ニーバーの祈り」に対する本作の応答ではないだろうか。「変えることのできるもの〔出来事の意味〕と、できないもの〔出来事それ自体〕とを区別できる知恵」とはつまり、きみの「中退」を「卒業」へ、トツ子の「無断外泊」を「合宿」へとパラフレーズすることで受け入れ可能なものに変える、そのような推論的アクロバットを指していたのだ。そしてそれは、かつて永井が浦上燔祭説を唱えたのと同様、おそらくは京都アニメーション放火殺傷事件という大量死の傷を癒やし、自らをゆるすためにこそ導入されたプロトコルでもあったにちがいない。
『きみの色』の裏地に大量死の記憶が縫い込まれているというのは、このような意味である。この二重化された世界は、たとえば『リズと青い鳥』の絵本の世界(劇中劇)をはじめ、悲劇的な未来や死者たちが見える『平家物語』のびわの視界、さらには初監督作品の『けいおん!』シリーズからすでに「高校生活を懐かしくも温かく振り返る〔…〕遠くからのまなざし」39として織り込まれていた。本作でもnoirseが指摘するように、トツ子の踊る『ジゼル』(ヒロインが黄泉の世界で踊り続ける)や、古書店で日吉子が手に取る『果てしない物語』(現実とは違う本の世界が登場する)などによって示唆されている40。これらはいわば、裏地の織り糸が表地に現れたものなのだが、そのなかでも決定的な意味を持つ模様がひとつある。トツ子のベッドに彫られた「GOD almighty」の文字だ。
修学旅行をサボった夜、自室に泊めたきみにこの彫り跡を指摘されると、トツ子は「毎日ありがたく拝んでる」と答える。これに対してきみは一言「なんてこった」とつぶやくのだが、小説版でも解説されているように「GOD almighty」には大きく分けてふたつの用法がある。ひとつは字義通りの「全能なる神」、そしてもうひとつは「Oh My God」と同様「なんてこった」「あらまあ」といった驚きを意味するスラングだ。敬虔な祈りであると同時に、卑俗な悪態でもあるということ。ベッドに刻みつけられ「変えることのできない」文字列は、にもかかわらずつねに二重化され、それを読む者によって異なる意味を与えられる。つまりこの言葉は、本作それ自体がそうであるような二重性を体現するとともに、免責のプロトコルの成立条件そのもの(パラフレーズ可能性)を指し示してもいるわけだ。
文化祭でのライブシーンの直前、日吉子はかつて寮のベッドに「GOD almighty」と彫り込んだのが自分であること、そして寮生時代に同名のロックバンドを組んでいたことを告白する。「できれば消したいのですが……」と口ごもるシスターに対し、トツ子は軽やかにこう切り返す。
「先生、変えられないものを受け入れてみるというのはどうでしょうか」
それは自分の過去という決して「変えられないもの」を、別の仕方で意味づけ直すということだろう。かつてはバンド名として、あるいはスラングとして書き込んだ文字列を、いま彼女自身が持ちえているような信仰の証しとしてパラフレーズすることだろう。そうした書き換えはつねに、わたしではないほかの誰かによってもたらされ、またそそのかされる。『きみの色』が描いているのは、受け入れがたい出来事の意味を事後的・遡行的に書き換えていく──というよりも、他者によって不可避的に書き換えられ、そのたびごとにまた歩き直していく、そのような生のあり方ではないだろうか。
きみが見える
「GOD almighty」を見て思い出した言葉がある。「アデュー(Adieu)」──「さようなら」を意味するフランス語の挨拶であると同時に、字義通りには「ア‐デュー(à-Dieu)」、すなわち「神の御許に」を意味する言葉だ。
アデューは一般的に、人と別れるときや立ち去るときに与えられる祝福──「神のご加護があらんことを!」──であり、ときには永久の別れに際して言われることもある。だが「別れるときではなく、出会ったときにアデューと言い合う地域もある」41と、アルジェリア出身のある哲学者は記している。この言葉はフランス語の「サリュ(Salut)」、つまり「救済」を意味するとともに「やあ」「またね」といった気軽な挨拶(間投詞)としても用いられる。それは「一切の事実確認的な言語作用以前に『こんにちは〔ボンジュール〕』『やあ、きみか〔きみが見える〕』『きみはそこにいるね〔きみがそこにいるのが見える〕』を意味しうる。つまり、何について語るにせよ、内容について語る以前に、わたしはきみに語りかけているのだ、ということを意味する」42。
この純粋な語りかけ、行為遂行的な挨拶/救済こそ、まさに最小限度のパラフレーズではないだろうか。アデュー、きみが見える。きみがそこにいるのが見える。きみの色が、光の波が見える。わたしはいま、きみに語りかけている。可視的な存在であるきみに。このサリュ、あるいは「救いなき救済=挨拶(Salut sans salvation)」について、別のフランスの哲学者はこう応じている。
送られた言葉は、自分自身以上のほとんど何も含んでいない差し向けでありながら、それは相手の実存の確認、認証/感謝を表している。ただそれのみであり、より高次の意味や威厳のうちに引き継がれたり昇華されたりすることはない。なぜならその実存はそれだけで十分足りていて、それ自身で「救われて」おり、世界から出る必要もないのだから。43
生きることの、死ぬことの虚無を癒やしうる軽やかな挨拶。本作のエンドクレジットのあとに浮かび上がる「See You」の文字は、そのような最小限度の「実存の確認」として、わたしたちの生と死をほんのわずかに読み替える。それ自身で「救われて」いる存在へとパラフレーズする。「他者への一切の関係は、何よりもまず〔すべてに先立ち〕、そして結局は〔すべてのあとで〕、何らかのアデューであるだろう」44。アデュー、出会いと別れの挨拶/救済としての。See You、きみが見える。きみの色が見える。やあ、またね、お元気で。がんばって。
Appendix:天使の来歴
『きみの色』には天使のイメージが繰り返し現れる。これは本作のセルフオマージュ元である『映画けいおん!』から引き継がれたものだ。同作はまさに天使のイメージ、あるいは天使という言葉が着想されるプロセスそのものを描いた作品だった。
TVシリーズ第2期『けいおん‼』(2010)の最終回では、卒業する軽音部の3年生たちから、後輩の「あずにゃん」こと中野梓に「天使にふれたよ!」と題された曲が贈られる。映画はその前日譚にあたる物語で、ロンドンへの卒業旅行を通じて梓にプレゼントする曲の歌詞を考えるというあらすじだ。この作品が一風変わっているのは、最終的に「天使」という歌詞を思いつくまでのプロセスが、作中で展開する複雑きわまる言葉遊び、あるいは駄洒落によって示唆されていることだろう。そしてここには、のちに『きみの色』で用いられる事後的・遡行的なパラフレーズの技法が、すでに実験的なかたちで先取りされている。
まず、唯はTVシリーズで梓のことを「あずにゃん」と呼んでおり、すでに〈梓=猫〉というメタファーが成立していることに注意しよう。『映画けいおん!』ではこの愛称がロンドン行きの飛行機のなかで「あずキャット(as-cat)[=猫として]」へと英訳され、続いて市内の観光中に「(荷物などを)あずきゃっとく[=預かっておく]」という駄洒落に発展する。さらに一行はロンドン滞在最終日のライブに向けて歌詞の英訳を試みるのだが、その際に「not so much A as B[=AというよりむしろB]」という受験英語の構文が呼び出され、唯はそこに梓の愛称を代入する。つまり「あずにゃん」を「あず(as)」と「にゃん(猫)」に分解し、それらを「as B」に当てはめることで「not so much A as にゃん[=Aというよりむしろ猫]」という言葉遊びを創り出すのだ。
『映画けいおん!』ではここから「天使」という語が、そして〈梓=天使〉という新たなメタファーが誕生する。かなり込み入った説明になるが、10年前に書いた拙論から自己引用しよう。
まず(1)「というよりむしろ」という「否定(not)」の契機によって、「にゃん[猫]」が〔「not so much A as B」という構文に含まれる〕「A」を抑圧していることが明らかになる。次に(2)「にゃん[猫]」が「B」に代入されることで、それとは別の選択肢「B」を消去していることが明らかになる。要するに、この言葉遊びでは、「あずにゃん」が隠蔽しているものを暴露することで、〈梓=猫〉とは異なるメタファーの可能性を暗示しているのである。では、この「A」と「B」はそれぞれ何を意味するのか。
さしあたって「A」は、「梓(Azusa)」の頭文字であると同時に、髪をツインテールにした彼女自身の姿をかたどっていると考えられる。他方で「B」は、その後のライブシーンではじめてその正体が明らかになる。舞台上で演奏する主人公の視線の先には、観客席で母親に抱かれた「赤ん坊(Baby)」と、その周囲を気ままに歩きまわる「鳥(Bird)」の姿がある。繰り返し挿入されるこの二つのモチーフは、ある明確な意図をもって描き込まれたものと見て間違いない。つまり、これらは「にゃん(猫)」に置き換えられる前の「B(Baby+Bird)」なのである。
このように考えたとき、ようやく〈梓=天使〉へといたる通路が切り開かれる。「not so much A as にゃん」という言葉遊びは、これまでの〈梓=猫〉よりも前に、あるいはそれとは別の可能性として〈梓(A)=赤ん坊+鳥(B)〉というメタファーがありうることを示している。そして、この〈赤ん坊+鳥〉が縮合することで、翼をもった無垢な子供、すなわち「天使」の像が生み出されるのである。こうして〈梓=赤ん坊+鳥=天使〉というメタファーが成立する。いまやこの「A」は、長いツインテールを翼のように垂らした〈梓(Azusa)=天使(Angel)〉の象形文字でもあるのだ。45
このように『映画けいおん!』では、複雑な言葉遊びや駄洒落による意味の組み換えを通じて、梓が「猫(あずにゃん)」から「天使」へと読み替えられていく。もちろん、十数年後の『きみの色』にはここまで難解なアプローチは見られず、出来事のパラフレーズはフロイト的な言葉遊びというよりも、むしろ語の多義性やアブダクションといった比較的シンプルな原理に基づいているが、その原型とも言うべきアイデアがすでに『映画けいおん!』には見出されるのだ。
また視覚的モチーフという点でも、本作は「猫」から「赤ん坊」と「鳥」を経て「天使」へと変形されていく『映画けいおん!』の展開を忠実になぞっている。たとえば物語序盤、トツ子は「猫」に導かれて「しろねこ堂」にたどり着き、中退したきみと再会する。さらに同作で「天使」を暗示するために挿入された「赤ん坊」と「鳥」のショットは『きみの色』でも多用されており、後者についてはハトやスズメ、海鳥などが繰り返し映し出され、前者は丸々としたバレエ教室の子供たちに引き継がれている。
むしろ本作が『映画けいおん!』と大きく異なるのは、あからさまに天使そのもののイメージが描き込まれていることだ。トツ子ときみが読みふける『天使もいいかもね』と題された少女漫画、文化祭のライブステージの背後にかかる巨大な天使の壁画、そしてライブ中のホールに一瞬だけ映り込む、背中におもちゃの羽を付けた子供……。
何よりも主人公のトツ子自身が、天使のイメージを体現していることは一目瞭然だろう。ブロンドの長髪を三つ編みにして、ツインテール──英語では「Angel Wings」と呼ぶこともある──のように垂らし、オフホワイトの衣装でキーボードを弾く彼女は、背後にかかる壁画の天使とほとんど同じ格好をしている。果たしてあのライブは誰に向けられたものだったのだろうか。花々が咲き乱れる寮の中庭で『ジゼル』を踊るとき、彼女はゾエトロープのように回転する風景のなかで、いったい何を見上げていたのか。
2000年代の京都アニメーションの作品には、ときおり天使が顔をのぞかせる。おそらくは「幸福の科学」のOVA『しあわせってなあに』(1991)の天使から始まり、『Air』(2005)の翼人、『Kanon』(2006)の天使人形、そして『けいおん!』シリーズのツインテールの少女へといたる、ひそやかな天使の系譜。永井が「燔祭」と呼んだ炎のなかで、天使たちはクリスチャン・ロックを歌い、ピルエットでくるくると旋回する。トツ子もまた間違いなく、京都アニメーションの天使たちのひとりだったのだ。
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脚註
- 佐野晶『小説 きみの色』、宝島社文庫、2024年、5頁。 ↩︎
- 「~閃光を浴びた日~ 尾崎正義さん(諫早市白岩町)の被爆体験」、諫早市ウェブサイト、2023年2月1日。 ↩︎
- トツ子のキャラクター造形の系譜に関しては異論があるかもしれない。脚本の吉田はむしろ、『けいおん!』シリーズの主人公・平沢唯に近いと語っている(「『きみの色』3人のキーパーソンが語る『山田尚子の世界』」、『キネマ旬報』2024年8月号、43頁)。 ↩︎
- アニメ本編ではわずかに写真を映したショットが挿入されるにすぎないが、小説版によるとルイは中学2年生のころ、2歳年上の兄を海の事故で亡くしている(佐野、前掲書、153頁)。 ↩︎
- 「ニーバーの祈り」の作者といわれるラインホルド・ニーバー(1892–1971)は米国のプロテスタントの神学者であり、カトリックのミッションスクールが舞台の本作とは微妙にズレているように感じられる。ただその不自然さがかえって、登場人物たちにとっての「“柱”になる言葉」(「『きみの色』3人のキーパーソンが語る『山田尚子の世界』」、43頁)としての重要性を証していると言えるのかもしれない。 ↩︎
- 佐野、前掲書、13–14頁。 ↩︎
- 「『きみの色』3人のキーパーソンが語る『山田尚子の世界』」、43頁。 ↩︎
- 『きみの色』パンフレット(2024)より、監督インタビュー、頁数表記なし。 ↩︎
- トツ子の異様なまでの信心深さは、小説版でかなり詳しく描写されている。いつのまにかキリスト教にのめり込んで中学2年生で洗礼を受け、虹光女子高等学校に進学すると「すぐに修道女となって生涯を捧げることを心に決めていた」(佐野、前掲書、6–7頁)という。 ↩︎
- 「信仰の自由に関する国際報告書(2022年版)-日本に関する部分」、在日米国大使館と領事館、2023年5月15日。 ↩︎
- 山田監督自身はインタビューのなかで、神道的なアニミズムが自分のベースにあると語っているため、本作に信仰告白としての意味合いがあるとは考えられない。むしろ「多神教が自分の根底にあるからこそ、クリスチャンでなくても、一神教のキリスト教のことも敬意をもって描けるところがあるんじゃないかな」(「山田尚子監督インタビュー #1」、『キネマ旬報』2024年8月号、12頁)という発言からは、その危うさも含めて、典型的な無宗教ないしは多神教の日本人という印象を受ける。 ↩︎
- 『きみの色』パンフレット(2024)より、監督インタビュー、頁数表記なし。 ↩︎
- 「『きみの色』3人のキーパーソンが語る『山田尚子の世界』」、36頁。 ↩︎
- 『きみの色』パンフレット(2024)より、監督インタビュー、頁数表記なし。 ↩︎
- 長崎県フィルムコミッション(@NagasakiFC)による2024年8月23日のポスト。 ↩︎
- 「TOHOシネマズ長崎にて映画『きみの色』舞台挨拶が行われました」、ながさき旅ネット、2024年8月1日。 ↩︎
- 「消えた女学校 =常清・被爆63年目の証言= 2」(長崎新聞、2008年7月18日)などを参照。 ↩︎
- 画像は「長崎平和研究所」サイトより。 ↩︎
- 四條知恵「純心女子学園をめぐる原爆の語り──永井隆からローマ教皇へ」、『宗教と社会 18』、2012年、22頁。 ↩︎
- 高木俊朗『新版 焼身 長崎の原爆・純女学徒隊の殉難』、角川文庫、1980年、229–233頁。 ↩︎
- ニュータイプ編『きみの色 アニメーションガイド tri-angle』、KADOKAWA、2024年、147頁。山田監督は同時に「実際に現地に向かうと、また少し違った感触があって」「すごく善きものを感じた」(同前)とも述べているが、これは本作の二重性をそのまま言語化したものと解釈しうるだろう。作中で繰り返し語られる「善きもの、美しきもの、真実なるもの」のフレームの外側には、その補色とも言うべき事柄、つまり大量死の気配がつねに漂っている。 ↩︎
- 佐野、前掲書、27頁。長崎の「戦火」、つまり原爆被害を想起させる記述はこの1カ所だけである。 ↩︎
- 『きみの色 アニメーションガイド tri-angle』、69頁。 ↩︎
- 「学校法人純心女子学園」サイトより、「学園の歴史」。 ↩︎
- 永井隆『この子を残して』、平和文庫、2010年、27頁。 ↩︎
- 永井隆『長崎の鐘』、アルバ文庫、1995年、143–148頁。強調は引用者。 ↩︎
- 高橋眞司『長崎にあって哲学する──核時代の死と生』、北樹出版、1994年、201頁。 ↩︎
- 同書、203頁。 ↩︎
- 同書、220頁より孫引き。 ↩︎
- 同書、222頁。 ↩︎
- 永井『長崎の鐘』、142–143頁。強調は引用者。 ↩︎
- 同書、143頁。 ↩︎
- 高橋、前掲書、201頁。 ↩︎
- 永井『長崎の鐘』、148–149頁。 ↩︎
- 浦上燔祭説が唱えられる経緯については高橋の前掲書に拠っており、彼もまた永井の当初の意図を正確に把握していたと言うことができる。ただその一方で、高橋は原爆投下を「すぐれて政治的な問題」とみなしているため、この問題に「非政治的接近をこころみ」た永井の責任を厳しく追及する(高橋、前掲書、202頁)。永井へのこうした批判に対してはすでに反論があり、長崎純心大学の学長を務めた片岡千鶴子は『被爆地長崎の再建』(長崎純心大学博物館、1996年)のなかで、永井の思想があくまで信仰に関わる問題であること、それゆえに政治的文脈で評価すること自体が間違いであると主張した(らしい)。ここでの議論はおおむね片岡の主張に沿うものだが、残念ながらわたしは著書を入手することができなかった。『被爆地長崎の再建』の概要は「ナガサキの思想と永井隆 =没後50回目の夏に= 3」(長崎新聞、2000年8月3日)などで紹介されている。 ↩︎
- 東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン、2023年)を参照。事後的・遡行的な意味づけという考え方は東の著作から大きな影響を受けている。 ↩︎
- 佐野、前掲書、274頁。 ↩︎
- 『きみの色』を京都アニメーション放火殺傷事件と重ねて解釈しているのは、当然ながらわたしだけではない。たとえば、しゅゆ「変えることのできないものと変えるべきもの – 『きみの色』評論 (独自)」(note、2024年9月12日)などを参照すること。 ↩︎
- 志津史比古「日常における遠景──「エンドレスエイト」で『けいおん!』を読む」、週末批評、2023年8月12日(初出2010年)。 ↩︎
- 2024年9月6日に開催されたXスペース「『きみの色』感想 #日常派(仮)」におけるnoirseの発言を参照。 ↩︎
- J. Derrida, Donner la mort, Éditions Galilée, 1999, p. 72.(ジャック・デリダ『死を与える』、廣瀬浩司・林好雄訳、ちくま学芸文庫、2004年、100頁) 強調は原文。ただし訳文は原文を参照のうえ、ジャック・デリダ『アデュー──エマニュエル・レヴィナスへ』(藤本一勇訳、2004年、岩波書店)の原註1(187頁)に基づいて大幅に変更している。 ↩︎
- Ibid., pp. 71–72. ↩︎
- ジャン゠リュック・ナンシー『アドラシオン──キリスト教的西洋の脱構築』、メランベルジェ眞紀訳、新評論、2014年、49頁。強調は引用者。 ↩︎
- Derrida, op. cit., p. 72. ↩︎
- てらまっと「無意識をアニメートする2:『たまこラブストーリー』と非人間への愛」、てらまっとのアニメ批評ブログ、2021年5月28日(初出2014年)。強調は引用者。こうした複雑な言葉遊びは『映画けいおん!』のみならず、山田監督&吉田脚本のオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』(2013)などにも見られる。詳しくは、拙稿「日常生活の暗号解読術 :『たまこまーけっと』と無意識のポリローグ」(てらまっとのアニメ批評ブログ、2014年4月25日)を参照してほしい。 ↩︎